テクのサロン
11. カーエレクトロニクスの未来像 −インターフェースのリ・デザインとスマートキー−
あらゆる「新技術」は、高度に進化し、洗練されるほど、その存在が認知されにくくなります。言葉を変えれば、進化し、普及するために要する時間を通じて、それが徐々に「当り前」のコトやモノになってゆくから、とも言えます。
例えば。筆者の家に電子レンジが導入された時の衝撃は、今でも鮮明に思い出せます。火を使わずに食品が温められるだなんて……と、半信半疑な小学2年生の目の前で、しかしマグカップのミルクはあっという間に沸騰し始めました。その後も、VTRや、ファックスや、CDや、ワープロなどなどによって同様の驚きを経験してきましたが、一週間もすれば、それらがもたらしてくれる効能は「当り前」のものにすぎなくなってしまいます。
SF作家アーサー・C・クラークは「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」と記しました。私たちは、実に多くの“魔法”を、それと意識せずに日々暮しているわけです。
ひと昔前のクルマと現在のクルマでは、“走る・止まる・曲がる”といった自動車本来の動力性能では大きく隔たりはない。省燃費という観点でも、飛躍的な向上がなされた、ということもなかった。しかし、マン・マシン・インターフェイスという点では、電子制御やネットワークとの連携により、全く異次元の世界へと進化を続けている。使い勝手の良さ、ユーザビリティの向上という観点で、今後もさらなる進化を遂げていくだろう……
エレクトロニクスがもたらす利便性
カーエレクトロニクスの分野でも、それは同様です。
たとえば自動車の黎明期、エンジンを始動させることは、けっこうな技術と体力を要する作業でした。エンジン内部のクランクシャフトにつながる減速ギア部分に、それを直接回転させるためのクランク棒を挿し込み、ぐるぐると回転させてエンジンを始動させていたからです(ちなみに、現在でもこの作業の名残を残しているものが、オートバイのキックスターターペダルです)。
しかし。非力な女性ではけっこうな苦役だったであろうこの作業を、電動モーターに代行させる「セルフスターター機構」が考案されて以降、エンジン始動はただスタータースイッチを作動させるだけの、いとも簡単な作業になりました。想像ではありますが、まだセルフスターターが普及していなかった当時、それを目の当たりにした人には一種の「魔法」に見えたかもしれません。
昨今の例で言えば、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)が顕著な例でしょう。それ以前のブレーキは、ドライバーの技量を最も如実に表す操作でした。しかしABSによって、誰もが思い切りブレーキペダルを踏みつけているだけで、最大効率のブレーキングが可能となったわけです。また、登場間もない頃のABSは、いかにも作動していることを実感させられるフィードバックがありましたが、現在のABSは作動していることをほとんど感じさせません。にもかかわらず、その効率ははるかに高いのです。
オートマチック・トランスミッションや、エンジン制御機構なども同様ですが、この手の「クルマが動く/クルマを動かす」制御系技術は、進化を重ねることで「こなれ」「枯れ」てゆくことで、その存在自体を意識させにくいもの、そして「当り前」のものとしてゆきます。逆説的に言えば、その境地に到達することこそが、技術者の最終目標なのです。
それに対して、非常に目に見えやすいカタチでの進化を重ねているのが、室内装備や操作系のエレクトロニクス装備です。その結果、操作のための「インターフェース」自体も、徐々にそのあり方を変えつつあります。
万国共通ではない“お約束”
長きに渡って、どこの国、どのメーカーのクルマであっても、操作系のインターフェースは基本的に共通でした。日本車であってもヨーロッパ車であっても、ハンドルを右に回せばクルマは右方向へ進みます。ハンドル位置が右であっても左であっても、アクセルペダルは一番右で、すぐ左隣がブレーキペダル、MT(マニュアル・トランスミッション)車の場合はその左隣にクラッチペダル、というのが「お約束」です。
シフトレバーの位置は、フロアから生えているものとステアリングコラムから生えているものがありますが、MT車のシフトパターンはH型、AT(オートマチック・トランスミッション)のセレクターは一番上がP(パーキング)、直下がR(リバース=バック)、N(ニュートラル)、D(ドライブ)、3(ATが4速の場合、3速までのギアを使っての変速)の順番…といった具合です。
もちろん、メーカーや車種によって、細かな違いはありましたし、非常に特殊な例外もあるにはあったものの、「基本」の操作系統は、万国共通のものとして踏襲されてきました。
ところが昨今、自動車の車内の操作系インターフェースに、従来のお約束とは違った操作法を採用するものや、メーカー/車種ごとで独自なものが増えています。
その筆頭はカーナビゲーション・システムでしょう。メーカーごと、機種ごとに操作法がてんでバラバラで、統一性がありません。同じメーカーの純正品であっても、対象車種が異なれば操作法がまったく違ってしまうことも珍しくありません。
これはある意味で仕方がないことではあります。なぜなら、純正ナビとは言っても、作っているのは電機メーカーで、自動車メーカーからの要求に応じて仕様を決定するわけですが、安価なナビの場合は汎用品を少し手直しするだけという場合も多いのに対し、高級モデルは車種ごとに専用設計されていたりします。BMWなどの純正ナビは、車種を問わずに同じ操作方法で統一されているのですが、国内の自動車メーカーではそのへんの事柄があまり気にされていないようです。
次代の主役・スマートキーとは?
自動車メーカーが自ら積極的に変容させているものとして、最近目立っているのが「スマートキー」などと呼ばれる機構です。
自動車のキーが担っている役割を煎じ詰めると
所有者以外の人間が室内にアクセスできないようにする。
ウィンドウガラスを破壊するなどして、強制的に室内へアクセスした場合でも、クルマ自体を動かせないようにする。
ということになります。
立ち入れなくする、というのは家屋などのカギと同じですが、さらにクルマはそれ自体が高額な動産でもありますから、勝手に持って行かれたりしないよう、カギなしにはエンジンが動作しない仕組みや、正しいカギを挿し込まないとハンドルがロックされたままになるような機構も併せ持たせてあるわけです。
セキュリティの概念を転換させて
さて、クルマ用のものに限らず、「物理的なカギ」は、一種の「割り符」です。現在、いわゆるカギとして最もポピュラーな存在は「シリンダー式」と呼ばれるタイプです。これはカギの表面に刻まれた凹凸のパターンと、それが動かすシリンダー側のパターンが合致することで機能するのですが、まさに割り符と同じ原理と言えますね。
ところが、物理カギには大きな弱点があります。シリンダー側のパターンが比較的簡単にコピー、もしくはエミュレーションできてしまうため、合いカギを簡単に作れてしまったり、少し前に話題になった「ピッキング」などの手段で、意外とあっけなく解錠されてしまいかねないことです。
そこで、単に物理的な機構だけではなく、電気的な仕組みと組み合わせることによって、より高いセキュリティ機能を持たせよう、との発想が出て来ました。クルマの場合は「イモビライザー」と呼ばれる機能がそれにあたります。
イモビライザー(Immobilizer)とは「Im+mobileize」、つまり「動かなくするもの」の意味です。具体的には、シリンダー式キーに電子的な認証機構を組み合わせます。キーの物理パターンをコピーできればドアロックは解除できますが、キー自体に埋めこまれているトランスポンダ(電子通信チップ)に割り振られたIDコードが、車両側の認証機構に合致しなければ、エンジンが始動できません。
つまり、もし物理的な形状をそっくりコピーした合鍵を作られて車内に侵入されても、そのまま乗り逃げされるという最悪の事態は防げるわけです。
さらに考えを一歩進め、割り符としての機能さえ果たせれば、カギは物理的なカタチを持っていなくてもかまわない、という発想から登場したのが、昨今「スマートキー」と呼ばれているものです。
スマートキーは、イモビライザーと、それに先んじてクルマ用のキーに導入されていた、いわゆる「リモコンキー」機能を自動化させたものとの組み合わせが、そのベーシックなカタチになっています。
数々のステップを踏む認証法
スマートキーの多くは、いわゆるカギのカタチをしていません。物理的な割り符機能が不要なため、カード型など携帯性を優先した形状が主流で、内部にはRFID用のトランスポンダが組み込まれています。車両側には受信機が搭載され、ごく狭い範囲へ受信用の電波を発信しています。
スマートキーを持ったドライバーがクルマに乗り込むために近付き、受信電波の有効範囲に入ると、キー側からも電波が発信され、まずは互いが同じスマートキーシステムの仲間であるかどうかの確認作業が始まります。同システムであることが確認されると、次に「割り符」機能の確認行程に入ります。
ここで交わされる情報は、いわゆるID、パスワード+αのデータです。また、最新式のスマートキーでは、電波盗聴によるデータ解析などの危険性を排除するため、パスワードがワンタイム化されていたり、認証機構自体が多重化されていることも珍しくありません。
認証作業が終わり、正当なキーの持ち主であると認識されると、自動的にドアロックが解除されます。また、そのことをドライバーへ伝えるため、ウインカーとヘッドライトが数回程度点滅する、といったカタチで伝達します。この状態になれば、そのままドアハンドルを開いて室内へ乗り込むことができます。
さて、次はエンジンを始動させて走り出す行程です。
技術的には、認証が終わった段階で自動的にエンジンを始動することも可能なのですが、安全性などの検知から、その行程はドライバー自らの意志によって行なうように設定されています。
従来の物理カギの場合、ステアリングコラム部分にあるキーシリンダーへカギを挿し込み、そのまま回転させることでスターターモーターが駆動、エンジンが始動するわけですが、スマートキーはその行程も変えてしまいました。
メーカーや車種によって「キー自体を、ダッシュボード上のスロットへ挿し込むもの」と、「キーが車室内にあることを、通信によって認知し続けるもの」の違いがありますが、いずれかの方法で認知された状態で、ダッシュボード上にあるスターターボタンを押す、もしくはスターターノブを回転させることで、エンジンが始動します。
目的地に到着し、クルマから離れる場合はどうでしょう? 現状ではメーカーや車種によって作動の内容が異なっていますが、将来的には「車載の受信機がスマートキーを認知できない状態になると、自動的にエンジンが停止し、ドアがロックされる」方向に集約されるはずです。
ネットワーク・デバイスとしての可能性
スマートキーによって、車両盗難などの被害は確実に低減できるはずですし、従来必要だった施錠/解錠操作が不要になる、また、なんとなくカッコイイ(笑)という効能もありますが、スマートキーは他にもまだまだ大きな可能性を秘めています。
おそらく、次の段階では「個人認証」機能が入ってくると考えます。指紋や掌紋認証と組み合わせて、より高度なイモビライザー機能を実現したり、クルマ側のセンサーがキーを感知したら、自動的にその人向けのドライビングポジションや、エンジンとATの制御パターンを設定する、といった機能の実現は近いでしょう。
また、専用のクレードルを介してUSB経由でパソコンに接続し、その日のスケジュールを入力しておくと、自動的にその情報がカーナビに送信され、ルート設定を行なう、といった機能も、十分に想定の範囲内です。
コンシューマにとって、電子制御の最大の意義は、「融通無碍(自由自在)」の実現なのかもしれません。
たとえば、一家に1台、玄関付近や居間に設置されていた有線電話は、家族の全員が等しく共有する装置でした。誰が使っても「電話」でしかなかったわけです。時が流れ、コードレスフォンが登場しても、それは「ケーブルの制約」を廃し、「共有上の制約」を軽減してくれるものでしかありませんでした。
しかし、携帯電話の登場、普及、進化によって、「電話機」は存在意義そのものを「個人情報機器」へと大きく変貌させました。スマートキーも同様に、個人個人が持っているキーそのものを、個人認証のためのデバイス、との意味合いに変えてゆくのかもしれません。
その先にあるものは、自動車の「設定パーソナライズ化」です。つまり、1台のクルマが、お父さんにとっても、お母さんにとっても、そして家族全員が乗る場合でも、「最適な道具」として機能できるもの、とすることです。
また、クルマ用のスマートキーでその機能が実現できれば、その後は各部屋、建物、地域…など、より広範囲に転用できる可能性もあります。
エレクトロニクス技術が、「個人の幸せ」と「社会全体の幸せ」を融通無碍に実現することを目標とするのなら、その先駈けとしてのスマートキーの進化に注目しておきたいところです。
著者プロフィール:松田勇治(マツダユウジ)
1964年東京都出身。青山学院大学法学部卒業。在学中よりフリーランスライター/エディターとして活動。
卒業後、雑誌編集部勤務を経て独立。現在は日経WinPC誌、日経ベストPCデジタル誌などに執筆。
著書/共著書/監修書
「手にとるようにWindows用語がわかる本」「手にとるようにパソコン用語がわかる本 2004年版」(かんき出版)
「PC自作の鉄則!2005」「記録型DVD完全マスター2003」「買う!録る!楽しむ!HDD&DVDレコーダー」など(いずれも日経BP社)
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