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8. デジタル時代の“道しるべ” −車載情報機器のテーマは、移動の「質的向上」にあり−

私たちは日々の生活の中で、誰もが短距離の「移動」をひんぱんに、しかし特別に意識することなく繰り返しています。通勤や通学、買物、散歩などなど、意義や目的はさまざまですが、そのような移動を行なうために特別な努力は不要です。
 もちろん「痛勤電車」といった苦労はあるにしても、移動すること自体に特別な気構えなどは持たず、当たり前のようにこなしていますよね。なぜそのようにたやすくこなせるのかと言えば、その移動パターンに沿えば正しい結果が得られることを確認済みだからです。言葉を変えると、目的地へ到達するために必要な「経路」や、所要時間などの「情報」をあらかじめ持っているから、と言ってもいいでしょう。

「星に道を聞く」時代、「地図に道を訊ねる」時代、そして……

 「移動」の目的を煎じ詰めると、「目的地へ正確にたどり着く」ことになります。そのためには、各種の「情報」が不可欠になります。当り前の話だと思われるかもしれませんが、何も考えず何の情報も参考にせず、ただ適当に移動しているだけでは、いつまで経っても目的地にたどり着くことはできません。出発地点から目的地まで、どのような移動手段を使うのか? またどのような経路を使うのか? といった各種の情報を入手し、活用できて、はじめて目的地へ正確にたどり着けます。

ひと昔前、運転者と同乗者とで地図と標識を頼りにしていた頃から、移動の第一義は目的地へと確実に到着することである。ランドマークのない海上や砂漠など、現在でも月や星座などを目標物にしているが、これらの場合も、昨今はナビゲーション・システムへと移行している

電車やバスなどの公共交通機関を利用しての移動なら、「正確にたどり着く」ことはいとも簡単です。「路線」が固定されているので、たとえ初めて行く場所であっても、正しい路線に乗り、正しい場所で乗り換え、正しい駅/停留所で下車すれば、確実に目的地へ到着するからです。
 段取りの良い人なら、出発前にあらかじめそういった「経路情報」を入手してシミュレーションし、さらにその情報を紙に書きとめるなどして、いつでも確認できるように持参するでしょう。また、私のように行き当りばったりな性格の人間でも、移動の途中で必要に応じて路線図や地図などを確認しながら歩を進めることができます。駅構内や電車の車内に掲示されている路線図を活用したり、昨今ではケータイでアクセスできる交通情報サイトなども活用すれば、臨機応変に旅程を組み立てることができます。

 さて、クルマを運転して移動する場合でも、必要とされる「情報」は基本的に同じです。少なくとも現在の日本国内では、道なき道を延々と走り続けるという状況はありえませんから、「路線情報」が道路のものに、乗り換えなどの情報が「どの交差点を、どちらの方向へ進めばいいのか?」という内容に置き換わるだけです。
 ただし、実際にクルマを運転していると、設定した経路から外れてしまうことは珍しくありません。状況によって路線を乗り換えるタイミングを逸してしまうことが珍しくないのです。

 「○○という交差点を右 or 左へ曲がる」だけのことに、ミスなどありえないと思えるかもしれません。しかし右/左折を行なうためには、あらかじめ右/左折用の車線へ移動しておく必要があります。現在走行している地点から目標とする交差点までの距離がわからないと、その準備ができず、右/左折用車線に移動するタイミングを外して…というミスが起こりがちなのです。
 いくら事前に地図で確認していても、実際に現地を走った経験がなければ、「○○交差点に近づいている」という実感は得られにくいものです。目安として利用できるのは、各種の「道路標識」や沿線の店舗などの「ランドマーク」ですが、これも確実なものではありません。すべての交差点の手前に道路案内標識が設けられているわけではありませんし、走行速度や車列の状況によっては「確認できた時はもう遅い」ことになりかねません。同乗者がいる場合は、その人に地図を参照して確認してもらえますが、地図を読むことに慣れていない場合は往々にしてミスしがちです。また、一人でクルマに乗っている場合は、その手が使えません。

 クルマによる移動をより確実なものとするため、有益な情報をまとめ、必要に応じていつでも利用できるようにしたものが「カーナビゲーション・システム」です。
 登場間もない頃のカーナビは、フィルムなどに記した道路地図上に自車位置と進行方向を表示するだけのものでした。次の世代では、地図がCD-ROMに収録したデジタル地図となり、現在位置の確認にはGPSやマップマッチングという技術を利用、目的地までの経路も自動的に設定してくれるようになります。その次の世代では、経路上にある交差点をどちらの方向へ曲がればいいのか? を指示してくれる機能が搭載され、さらに地図の表示方法が工夫されて、目的の交差点まで一定の距離になったら強調/詳細表示を行なうことでミスを起こりにくくし、それでもミスコースした場合は即座にリカバリールートを提示してくれる……といった具合に、カーナビは急激な進歩を遂げてきました。もはやカーナビさえあれば、どんなドライバーでも確実に目的地へたどり着けますし、移動中に「どっちへ行けばいいのか?」「目的地へ正しく近付けているのか?」といった不安を感じることもなくなります。

正確にたどり着くことが十分になると、次は時間効率の良い方法を探る段階となる。ムダのない経路、そして実際の交通量などを把握することで、渋滞を避ける手だてとしての利用法が、ナビゲーション・システムの主な仕事となる

肉声案内(カーラジオ)からデジタル案内(カーナビ)へ

カーナビのおかげで、クルマによる移動の正確性は最低限確保されました。しかしクルマでの移動には、公共交通機関での移動とは異なった要素も入り込んで来ます。公共交通機関の場合、もともと路線自体がそのように設置されているので、「目的地へ正確にたどり着くこと」と「可能な限り短時間でたどり着くこと」がほぼイコールと考えていいのですが、クルマの場合はそのふたつの要素の間に大きな隔たりがあるからです。
 例えば、国道16号線という道路があります。東京23区の外側をぐるっと取り巻くように走っている環状道路で、千葉県、埼玉県、東京都の郊外、神奈川県を通っています。神奈川県横浜市に住んでいる人が千葉県柏市へ出向く場合、国道16号線をずっと走り続ければ必ず「正確に」たどり着けますが、その経路はとんでもなく遠まわりになってしまい、へたをすると半日がかりの旅行になりかねません。
 まったく逆に、走行距離は長くなっても旅行時間は短くて済む、というケースも往々にしてあります。特に都市部では、距離的には最も短くて済む経路が慢性的に激しい渋滞地点ということが珍しくありません。「正確に、かつ可能な限り短時間で」目的地へたどり着くためには、経路だけではなく、時々刻々と変わる「道路情報」を併用することが必要になってくるのです。そのために長きに渡って利用されていた手段が、「カーラジオ」による道路情報の入手です。

 ラジオ放送の歴史を簡単にたどってみましょう。ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz 1857〜1894)が実験によって電磁波の存在を証明したのが1888年。1895年にはマルコーニ(Guglielmo Marconi 1874〜1937)が世界初の無線通信に成功します。さらに1900年にはフェッセンデン(Reginald Aubrey Fessenden 1866〜1932)が音声を電波に乗せる装置を開発、1906年のクリスマスに自宅に作った無線局から、楽器の弾き語りで「きよしこの夜」を放送したのが、世界初のラジオ放送とされています。
 それからわずか14年後の1920年、アメリカ・ペンシルバニア州ピッツバーグに世界初の公共ラジオ放送局「KDKA」が設立されますが、驚くべきことに、同年のうちにモトローラ社が世界初の車載用ラジオ受信機を開発しています。
 ちなみに日本の公共ラジオ放送は、1925(大正14)年3月22日午前9時30分、東京・芝浦の東京放送局仮放送所から始まりました。その後6月1日には大阪、7月15日には名古屋でも放送が開始となります。また日本初のカーラジオは、1948年に帝国電波株式会社(現在のクラリオン株式会社)が開発し、おもにバス向けに販売していたとされています。

 カーラジオは、クルマが初めて手に入れた「外部情報通信」機器です。当初はもっぱら移動中の暇つぶしが主な効能だったと推測しますが、時が下りモータリゼーションが本格化してくると、ラジオから得られる「道路交通情報」や「気象情報」が重要な価値を持って来ます。
 時々刻々と変わるそれらの情報を、移動中の車内で入手できる手段として、カーラジオはずいぶん最近まで唯一のものでもありました。カーナビが経路を設定してくれるようになっても、しばらくの間はドライバー自身がラジオの交通情報と照らし合わせて、臨機応変に経路を変更していかなければ、最短時間での移動は実現できなかったのです。
 とはいえ、カーラジオによる情報入手には、不便な点も多々ありました。道路交通情報が提供される時刻が番組表などに明記されていないことが多く、聞き逃してしまった場合のフォローができないこと、などです。地域によってはAM帯の1620kHzでリアルタイムな交通情報を受信できますが、高速道路以外ではごくわずかなエリアでしか受信できないため、「今、知りたい」という欲求を満たすことが難しかったのです。

即時性情報源、VICSという最新技術

渋滞路を避けた経路を設定することは、ドライバーの精神的なストレスを軽減するだけではなく、燃費を向上させ省エネルギー化に貢献する効能も持っています。そのような背景もあって、ラジオ放送に代わる交通情報提供システムが立ち上がっていきます。
 日本においては1995年、ATIS (Advanced Traffic Information Service 交通情報サービス株式会社)による情報提供開始が端緒となりました。カーナビメーカー各社は、即座に携帯電話を介してATIS情報を受信し、渋滞情報等を加味して最短の時間で移動できる経路設定機能を実現してきます。また1996年にはVICS(Vehicle Information and Communication System 道路交通情報通信システム)が東京圏で運用開始となり、以後カーナビはVICS情報を参考にして最短時間で移動できる経路設定機能を標準的なものとします。
 とはいえ、それらの普及でカーラジオがお役御免となったわけではありません。VICS情報はラジオ波でも提供されていますし、緊急規制情報などはラジオ放送を通じて知る機会もまだまだ多いものです。重要なのは、その時々の状況に応じて最適な情報にアクセスできる手法を使い分けること、なのです。
 

目的地まで正確に、ムダなく到着できるようになると、次は到着後の情報が知りたくなるもの。周辺の施設情報や連絡先など、インターネットやテレフォンサービスの様に、カーナビはあらゆる情報を提供する便利なツールとなった。

クルマでの移動を「正確に」かつ「短時間で」行なうための機能は、これでひと通り揃ったことになります。こうなると、次に要求されるのは移動中の「快適さ」です。
 例えばドライブ先からの帰路、カーナビで経路設定を行なったら、選択可能なルートがすべて渋滞していると表示されたとします。特に帰りを急ぐ必要がなければ、「ちょうどお腹も減って来たし、それなら今、食事をしておこう。その間に渋滞が緩和されているかもしれない」といった判断ができます。さらに「このあたりに食事ができるところはあるか? あるとしたら、どのような店か? トンカツが食べられそうな店はあるか? 複数ある場合、どこがおいしそうか? 価格帯は?」といった情報が得られれば、より充実した時間が過ごせることになります。
 このような情報が自在に入手できれば、移動中の満足度、言い変えれば「移動の質」を高められる効能があります。クルマで移動する最大の利点である、「経路設定の自由度」と「行程と時間の設定の自由度」の高さを、最大限に利用することが可能になるわけです。

移動先の情報までを網羅する時代

カーナビがデジタル地図を使うようになって以降、「周辺情報」の収録も重要なテーマとなってきました。ランドマークとしてだけでなく、移動中の欲求を可能な限り高いレベルで満たすことが目的です。
 地図データをCD-ROMに収録していた当時は、メディア容量の都合であまり詳細な情報が掲載できず、ある程度の情報を収録するためには「関東版」「東海版」といったように、地域ごとに地図を分ける必要がありました。しかし収録メディアがDVD-ROMになったことで、かなり詳細な地図データを全国分収録することが可能になり、さらにハードディスクへと大容量化が進んだことで、今では全国分の非常に詳細な地図データと、各地域に対して「タウンページ」並みかそれ以上に詳細な周辺施設情報が余裕で収録できるようになっています。実際に使う機会があるか否かはともかくとして、最新のカーナビを搭載したクルマなら、日本全国どこへ行っても「○○があるか?」「○○がしたい」という欲求を高いレベルで満たせます。

車載情報機器の今後の開発テーマは、外部との通信によって得られた情報を、いかにして移動の「質的向上」に役立てるか?が焦点になります。
 ひとつの方向性は、時間の有効活用に関するものです。目的地へ到着するまでの間、何もすることがなく、ただ景色を眺めているだけという状態はえてして苦痛ですらあります。その時間を、家にいる状態と同様に過ごせたなら、「精神的ドア・ツー・ドア」性が大きく高まるわけです。
 すでにTVやDVDビデオを視聴できる車載機器はポピュラーな存在ですし、ケータイやPHSを介してインターネットに接続できる機能も普及が進んでいます。そう遠くない将来、家の中で楽しめる娯楽や仕事が、ほぼすべてクルマの中でも同様に行なえるようになることは、半ば約束されていると言ってもいいでしょう。究極的には「自走車」という方向も出てくることでしょう。目的地までの経路設定を行なったら、あとはクルマが目的地まで勝手に走って行ってくれる、というものです。こうなると、移動中の車内で究極の娯楽(?)である[睡眠」が満喫できるわけですが、ただし技術的にはともかく、事故が起こった場合、誰の責任になるのか? 等々、社会的な問題がクリアにならない限り、実用化は難しいと言われています。
 それとやや関連しつつ展開されるであろう、もうひとつの方向性は、より広範な外部情報との連携や、より高度な処理を行なうことで、広義での「効率」をより高めるための機能を実現することです。例えば「時間は15分程度余計にかかってもいいから、なるべくガソリン消費量が少なくて済む経路」や、「道中、この買物とこの買物が済ませられる経路。しかも、買物はなるべく安くあげたい」といったように、その時々の欲求に沿った経路が臨機応変に設定できるようになれば、「生活の一環としての移動」はとても効率の良いものになります。
 カーナビという大きなターニングポイントを経て、その後も進化を重ねてきた車載情報機器は、もはや「移動のコンシェルジュ」とでも呼ぶべきものに変貌しつつあります。今後、どのような展開があるのか、楽しみに見守り続けたいものですね。
 

【 関連情報リンク 】
■Tech-Mag 2005年1月下旬号/テクの雑学/第16回 アナタハ イマ ココニ イルノデス。
 —宇宙からの存在証明、DGPS—
■Tech-Mag 2005年3月号/テクのサロン/『車内のネットワーク化(車内LAN)と協調制御』

 

著者プロフィール:松田勇治(マツダユウジ)
1964年東京都出身。青山学院大学法学部卒業。在学中よりフリーランスライター/エディターとして活動。
卒業後、雑誌編集部勤務を経て独立。現在は日経WinPC誌、日経ベストPCデジタル誌などに執筆。
著書/共著書/監修書
「手にとるようにWindows用語がわかる本」「手にとるようにパソコン用語がわかる本 2004年版」(かんき出版)
「PC自作の鉄則!2005」「記録型DVD完全マスター2003」「買う!録る!楽しむ!HDD&DVDレコーダー」など(いずれも日経BP社)

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