じしゃく忍法帳

第72回「人工心臓と磁石」の巻

人工心臓もエレクトロニクス製品

心のありかは不明でも心臓とは無関係ではない

 忍者の“忍”という字は、刃(やいば)と心の組み合わせ。たとえ鋭い刃を目の前に突きつけられても、心を乱さずにじっと耐え忍ぶという意味です。数々の修羅場(しゅらば)をくぐった忍者はともかく、緊張したり不安になると、ふつう心臓はドキドキと“早鐘”のように打ち始めます。これは体内からアドレナリンなどのホルモンが分泌されて心拍数が増加するためで、逆にリラックス時には心拍数は少なくなります。心は何かとは難しい問題ですが、心という字が心臓をかたどった象形文字であるように、心臓の働きと無関係ではないことは確かなようです。

 心としてではなく臓器としての心臓は、重要な循環器の1つです。全身に血液を送るためのポンプ機能、逆流を防ぐためのバルブ(弁)機能、心筋を律動的に拍動させるペースメーカー機能が心臓の3大機能。この機能のいずれかに故障が生じると、それぞれ虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞など)や心筋症(心臓肥大などをきたす心疾患)、心臓弁膜症、不整脈といった心疾患となります。

 心臓弁膜症は外科手術によって、不整脈は人工ペースメーカーの埋め込みや薬物療法によって治療が可能ですが、血液を送るポンプ機能を喪失した重度の心疾患では、今のところ心臓移植手術を受けるか人工心臓に置き換えるしか方法はありません。
 

 

ポンプ、弁、ペースメーカーの3つの機能で血液が送られる

 人に対して初めて人工心臓が使われたのは1963年です。しかし、当時はまだポンプ機能を体内に収められるほどの技術はなく、体外の動力装置も大型のものでした。患者は体外の動力装置とワイヤやチューブで結ばれているので、ベッドから離れることはできませんでした。術後の生存率もはかばかしくなく、心臓移植手術のほうが注目されるようになりました(南アメリカのバーナードによる世界初の心臓移植手術は1967年)。

 その後の医療技術の進歩により、現在、世界で年間約3000件の心臓移植手術が実施されるまでにいたっています。しかし、臓器提供者がかぎられるため、手術を受けられる患者はほんの一部にすぎません。また、脳死をめぐる倫理的問題などのほかに、他人の臓器(あるいは動物の臓器)を移植した場合は、拒絶反応を抑えるために免疫抑制剤を投与し続けなければなりません。一方、人工心臓はこうした問題がありません。

 人工心臓と呼ばれるものには、人工心肺、補助人工心臓、完全人工心臓があります。人工心肺は心臓手術のときなどに、一時的に心臓の機能を代行させる装置。補助人工心臓は急性の心疾患患者などに対し、患者の自然心臓を補助するための装置です。一方、回復の見込みがない心臓を切除し、その代行として使われるのが完全人工心臓です。このうち、バッテリを除く諸機能がすべて体内に埋め込まれるのが、完全埋込型人工心臓です。

完全埋込型人工心臓が世界で初めて臨床試験

 2001年の7月、世界初の完全埋込型人工心臓の臨床応用がアメリカで実施されました。使われたのはマサチューセッツ州のアビオメド社で開発された「アビオコア」という人工心臓です。マイクロモータが内蔵されたソフトボールほどの大きさで、内蔵されたマイクロモータが血液を送り続けます。

 マイクロモータを駆動させる電気エネルギーは、体外に装着されたバッテリから、電磁誘導の原理で体内に埋め込まれたコイルに送られます。これはトランスの原理と同じです(バッテリは直流なので、いったん交流に変換されて送られます)。

 この完全埋込型人工心臓は、従来の人工心臓と違って、皮膚からワイヤやチューブが出るということがないのが長所。自由に歩行できてシャワーを浴びることも可能。運動をするとセンサがキャッチして、ポンプの働きを高めるため、走ることもできるそうです。

 とはいえ、完全埋込型人工心臓にもまだ数多くの課題が残されています。埋込型といっても半永久的に使えるわけではなく、半年から1年ごとに手術によって取り替える必要があります。そしてさらなる小型化も待たれています。ソフトボール大という大きさでは乳幼児の患者に埋め込むには大きすぎるからです。

 心臓を切除して取り替えるのではなく、機能が衰えた心臓をバックアップする補助人工心臓にも、小型・高性能化が進んでいます。心臓のポンプ機能を代行する動力装置としては、次のような各種のアクチュエータの利用が考えられています。
 

回転式
DCブラシレスモータ
ステッピングモータ
超音波モータ

リニア式
リニアパルスモータ
リニアDCモータ
リニア振動アクチュエータ
リニア電磁ソレノイド
 




図1 埋込型補助人工心臓のモデル

人工心臓のアクチュエータに強力な希土類磁石が利用

 図2に示すのはDCブラシレスモータを用いた埋込型の補助人工心臓の基本構造です(北海道東海大学岡本研究室で開発)。DCブラシレスモータは、その名の示す通り、直流駆動のDCモータからブラシと整流子(コミュテータ)をなくしたモータです。多極着磁の磁石がロータ(回転子)となっていて、周囲のステータ(固定子)の駆動コイルによって発生する回転磁界で、ロータが回転するしくみです。このため、ブラシも整流子も要らなくなるのです(したがって、ブラシからの電磁ノイズの発生もなくなります)。

 この補助人工心臓は患者の腹部に埋め込まれ、自然心臓近くの血管に結ばれます。人間の心臓は2つの心室と2つの心房からなります。大動脈を通じて全身に血液を送るのは左心室です。この補助人工心臓は左心室のポンプ機能を代行します。

 心臓は膨らんだり、縮んだりする筋肉運動で血液を送ります。回転運動するDCブラシレスモータを利用して、いかに拍動を模すかというところが、この補助人工心臓の最大の技術ポイントです。その工夫としてまず考え出されたのが、モータのロータに取り付けられたボールねじです。モータの駆動によってロータが正回転・逆回転するたびに、ボールねじが往復運動します(ナットを回転するとボルトが動くのと同じ原理)。また、図のようにボールねじ先端にはラバー磁石が、プレートには鉄製円板が取り付けられているので、往復運動に応じて、プレートが吸引されたり、はなれたりするので、患者の自然心臓を痛めることなく、スムーズに血液が送られるしくみです。

 人工心臓のアクチュエータの多くに、永久磁石の磁力が応用されています。磁気(静磁気)は生体に害を与えず、また電磁石とちがって磁力を保つのにエネルギーを必要としないので、人工心臓にはうってつけなのです。また、強力な希土類磁石の開発によって、アクチュエータの高性能化が可能になり、人工心臓の小型化も進みました。日本でも完全埋込型人工心臓の開発が進められています。その臨床応用は、2005年ごろから始まる見込みです。
 



図2 埋込型補助人工心臓の1例(北海道東海大学岡本研究室)

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