じしゃく忍法帳

第63回「薄膜技術と磁石」の巻

薄膜は未知の可能性を秘めたニューマテリアル

磁界中の電子はなぜラセン運動をするか?

忍者だけにかぎりませんが、昔は道なき山中を歩くときは、迷わないように要所要所で木の枝を折り、引き返すときの目印としました。これが読みかけの本にはさむ“しおり(枝折・栞)”の語源です。

しかし、目印を残しようもない砂漠や雪原などで迷子になると、人はまっすぐに歩いているつもりでも、大きく円を描いて元の位置に戻ってしまうことがよくあるそうです。右回りか左回りかは、人それぞれに違います。

直進運動する電子も、磁界によって方向を曲げられてしまいます。この曲がり方はフレミングの左手の法則によって決まっています。左手の親指、人差し指、中指を互いに直交するように開いたとき、人差し指を磁界の方向、中指を電流の方向とすると、親指の方向に力が作用します(ただし、電子は負電荷をもつ粒子なので、電流の方向と電子の運動方向は逆になります)。

磁界中で電子の運動方向が曲がる現象は、身近な製品にたくみに応用されています。それはテレビやパソコンのブラウン管です(第9回「テレビのブラウン管」の巻に詳述)。では、強さも方向も一定の静磁界の中では、運動する電子の曲がり方はどうなるのでしょうか?この場合はたえず力が作用して曲げられたままになるので、カーブではなく円を描くことになります。しかし、現実にはこのような静磁界などはなく、また電子は磁界に垂直に侵入するとはかぎりません。このため電子は円ではなくラセンを描きます。運動する電子は磁力線に巻きつくようなラセン運動をするのです。

マグネトロン(磁電管)は磁石を搭載した真空管

磁界中でラセン運動する電子の作用は、これまた身近な製品に利用されています。電子レンジのマグネトロンです(第5回「電子レンジのマグネトロン」に詳述)。

マグネトロンは磁石を搭載した特殊な真空管で、円筒形の陽極が、陰極である中心軸を取り巻く構造となっています。真空管と異なるのは、中心軸の方向に磁石による磁界が加えられていることです。陰極から飛び出した電子は、周囲の陽極に向かって飛びますが、磁界によって方向を曲げられ、ラセンを描きながら陰極の周囲を回るようになります。

マグネトロンは薄膜電子部品・デバイスに使われる薄膜作成の装置にも利用されています。薄層などとも呼ばれる薄膜は、バルク(塊状の物質)や厚膜(およそ0.01〜1mm厚)よりも薄い物質の総称です。通常の固体物質は機械的な切断では0.01mm厚あたりが限界です。というのも、それより薄くなると、支持体となる基板なしに自立できなくなるからです。いいかえると、基板に何らかの方法で材料の微粒子を薄く堆積させたものが電子材料としての薄膜です。

各種半導体素子、集積回路、液晶、HDD(ハードディスクドライブ)の磁気ヘッドなど、実にさまざまな薄膜電子部品・デバイスが身の回りの電子機器に活用されています。今日のエレクトロニクス社会は薄膜技術の進歩とともに発展してきたといっても過言ではありません。薄膜にするのは単に厚みが減るということだけにとどまりません。バルクや厚膜では得られないさまざまな機能が、薄膜において可能となります。
 

薄膜の面内異方性と超格子


図1 薄膜の面内異方性と超格子

金属中の自由電子は薄膜内部で不自由になる

薄膜の示す特異な物性は、薄膜内部における電子のふるまいが関係しています。たとえば金属は一般に電気抵抗が小さい良導体です。これは金属中には原子に束縛されない自由電子が存在するからです。ところが金属を薄膜にしていくと、自由電子が動き回れる範囲も狭くなり、ついには薄膜の膜面に衝突する電子が増え始めます。この結果、電気抵抗が増大して半導体のような性質を示します。つまり、物質を薄膜とすることで新たな物性を引き出すことも可能になります。

異なる物質の薄膜を規則的に積層したものは「超格子」と呼ばれ、近年、注目を集めています。超格子とは自然界にはない人工的な秩序をもたせた結晶格子という意味で、これを半導体レーザに応用した量子井戸半導体レーザの開発も進められています。薄膜は未知の可能性を秘めたニューマテリアルなのです(図1)。

こうした薄膜は気相法と呼ばれる成膜法で作成されます。材料を何らかの方法で加熱し、蒸発した材料粒子を基板に堆積する方法です。気相法は物理堆積法(PVD)と化学堆積法(CVD)に大別されますが、ここでは物理堆積法に絞って話を進めます。

物理堆積法の基本は真空蒸着法と呼ばれるものです。図2のように真空状態にした容器の中で、金属や化合物などの材料をヒータで加熱して蒸発させ、向かいの基板に材料粒子を薄く堆積させる方法です。たとえていえば室内の水蒸気が冷たい窓ガラスで凝結して、窓ガラスを曇らせるようなものです。

真空蒸着法の装置は簡単なものですみますが、ヒータ材料の加熱・昇華により、作成される薄膜に不純物が混じりやすいという欠点があります。そこで、ヒータのかわりに電子ビームやレーザビームなども使われますが、今日、物理堆積法として多用されているのはスパッタリングと呼ばれる方法です(スパッタとは、パラパラと降りかかるという意味)。

真空蒸着法の原理

図2 真空蒸着法の原理

電子のラセン運動を利用したマグネトロンスパッタリング

スパッタリングによる薄膜作成装置は、材料を陰極側、基板を陽極側に置き、容器内を真空にしてからアルゴンガスを入れたもの。ここで電極に高電圧を加えると、アルゴンイオンと電子が共存するプラズマが発生します。正電荷・大質量のアルゴンイオンは加速されながら、陰極側にある材料に高速で衝突(このため蒸着源となる材料はターゲットと呼ばれます)。衝突によって叩き出されたターゲットの材料粒子(負イオン)は、向かいの陽極側の基板に飛び込んで堆積し、薄膜となります。

 ところが、このスパッタリング法ではターゲットから叩き出された材料粒子や、負電荷をもつ電子が、陽極側の基板を勢いよく直撃することになるので、均質な薄膜をつくることが難しくなります(基板も加熱されてしまいます)。

 ターゲットから材料粒子を濃密に発生させ、低温状態の基板に穏やかに堆積させるのが、高品質の薄膜を作成するための条件です。そこで考案されたのが、磁石の磁界を利用したマグネトロンスパッタリングです。

 前述したように電子の運動方向は磁界によって曲げられるので、プラズマ中の電子は磁石の磁力線に巻きつくようなラセン運動をします。マグネトロンスパッタリングでは、このラセン運動が利用されます。ラセン運動によって電子とアルゴンガスとの衝突の回数が多くなり、電子のスピードが減速されるからです。このため、低いガス圧でも安定したプラズマが得られ、基板へのダメージも少なくなるのです。マグネトロンスパッタリングの1例(垂直磁界方式)を図3に示します。この方式は均質な薄膜を高速で成膜できるため、磁性薄膜をはじめとする各種機能性薄膜の作成に利用されています。
 

マグネトロンスパッタリング(垂直磁界方式)の原理


図3 マグネトロンスパッタリング(垂直磁界方式)の原理

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