じしゃく忍法帳
第49回「エアーポンプと磁石」の巻
モータなしに往復運動を実現するには?
忍法にも通じる素潜りというスポーツ
1956年のオリンピック・メルボルン大会の200m平泳ぎ競技において、日本の選手 は得意の潜水泳法を使って金メダルと銀メダルを獲得しました。水中に身体を沈めた ほうが水の抵抗が少なくなってスピードが増すのです。ただし、この大会をかぎりと して、潜水泳法は禁止されてしまったので、現在の公式競技会ではみることができま せん。
昔の忍者にとって潜水は重要な忍法のひとつでした。敵に追われたときなど、水に 潜って身を隠すのは、“水遁(すいとん)の術”といいます。忍者は水を張った桶に 顔をつけ、長く呼吸を止める訓練を積みました。とはいえ、いくら忍者でも呼吸を止 めていられるのはせいぜい数分です。長時間の潜水には竹筒などをくわえ、これを通 気管として呼吸を維持しました。忍者刀の鞘(さや)の先端部(鞘尻、小尻)は取り 外し可能になっていて、とっさの際は鞘が通気管として利用されました。
より深く・より長くという素潜りを世界的なスポーツとして広めたのはフランスの J・マイヨール(海洋映画『グランブルー』のモデル)です。1976年に人類最初の深 度100mの素潜りに成功し、世界のダイバーたちを驚嘆させました。このときの潜水 時間は3分40秒でしたが、素潜り記録を更新するためには、単に息を長く止められる だけでなく、強靭な肉体と忍法にも通じる精神力も必要とします。
というのも深度が10m増すごとに水圧は約1気圧ずつ高まるため、深度100m前後 の水中では、肺の容積は10分の1以下に縮んでしまうだけでなく、脈拍は1分間に7 〜8回にまで減ってしまうそうです。科学的には未解明ですが、これは酸素の消費量 を減らすように身体が順応するためともいわれています。現在の素潜りの世界記録は 、深度150mを超えるまでにもなりました。人体はまだまだ未知の潜在能力をもって いるようです。
潜水技術にも貢献した天文学者ハレー
潜水具を用いた潜水の可能性については、古代ギリシアのアリストテレスやルネサ ンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチなど、多くの学者・技術者が言及しています。も っとも、これは海底や川床を自由に歩きたいという願望よりも、軍事的な目的があっ たようです。また沈没船から財宝を引き上げるためにも潜水技術は不可欠でした。
最初に考えられた潜水具は、釣り鐘のような金属容器を鎖で水中に吊るし、ダイバ ーはその中の空気を呼吸するというものでした。この装置はダイビング・ベルと呼ば れ、13世紀ヨーロッパで発明され、16世紀には実用化されていたと伝えられます。し かし、ダイビング・ベル内の空気の量はかぎられているので、長時間の潜水には向き ません。
そこでパイプによって地上からダイビング・ベルに空気を送り込むというアイデア が生まれました。しかし、水中では水圧がかかるために、地上から送る空気には、水 圧と同じ圧力をかける必要があります。そうしないことには、ダイビング・ベルの空 気は水圧によって押し戻されてしまうからです。
ポンプによって加圧した空気を送る潜水装置を開発したのは、ハレー彗星の再来を 予言したことで知られる18世紀イギリスの天文学者ハレーです。彼はこの装置によっ て、深度18mの水中に約1時間滞在したと伝えられます。今日、橋梁などの水中構造 物の基礎工事に採用されるケーソン(潜函)工法は、このハレーの潜水装置に始まり ます。
図1 小型エアーポンプの内部構造
磁石の吸引・反発作用をエアーポンプに利用
熱帯魚の水槽などでは、水中に酸素を補給するため、常時、電動式のポンプで空気 を送り込んでいます。家庭用の水槽ではACアダプタほどの大きさのエアーポンプが 使われていますが、そのしくみをご存じでしょうか?
電動式のエアーポンプとしては、モータを利用したタービン式やシリンダ式が思い 浮かびます。しかし、小型水槽用のエアーポンプにはモータは使われていません。磁 石と電磁石を組み合わせただけの実にシンプルな装置です。
図1に示すのは、その内部構造の1例です。鉄心にコイルが巻かれた電磁石に隣接 してバネ式のレバーが置かれ、レバーの先端にはフェライト磁石が接着されています 。コンセントにプラグを差し込み、交流電流を流すと鉄心は50Hz(または60Hz)の周 期で、N極・S極が交互に替わる電磁石となります。このためフェライト磁石の磁極 と電磁石の磁極との間に吸引・反発作用が生じ、レバーは50Hz(または60Hz)の周期 で振動します。
振動するレバーは、それと連結したゴム製容器(ダイヤフラム)を伸縮させるため 、内部の空気に圧力変化が起こります。また、ゴム製容器には空気弁が設けられてい るので、加圧された空気はパイプから一定方向に送りこまれるというわけです。
図2 電気呼び鈴のしくみ
電気呼び鈴のしくみは簡単ながら独創的
電磁石によって往復運動をつくるエアーポンプは、電気呼び鈴のしくみとも似てい ます。しかし、根本的に違うのは電気呼び鈴には直流が使われていることです。電気 呼び鈴が発明された19世紀初めには、もっぱら電池が電源として使われていたからです。
図2のように電気呼び鈴のコイルに直流電流を流すと、鉄心は磁化されて電磁石と なり、鉄片を引き付けてハンマーがベルをたたきます。しかし、これでは1回鳴るだ けで連続音を出せません。そこで、ハンマー中央部に電気接点を設け、電磁石の磁力 でハンマーが動くと、接点が離れる工夫が考案されました。つまり、ベルをたたくと 電流が遮断されて電磁石は磁力を失い、ハンマーはバネの力によって戻されますが、 戻されたとたん接点が閉じ、再び電磁石がハンマーを動かすというわけです。このハ ンマーの動作は電源が切れるまでに繰り返されるのでリリリリリ…という連続音が実 現します。
この電気呼び鈴もしくみは簡単ですが、なかなかのアイデアです。かつて電話交換 局の交換機や、機械の自動制御に使われていた電磁リレー(図3)もまた、電磁石と バネを利用して接点を切り替える同様の装置です。
磁力とバネを利用することで、瞬間的に鉄片を引き寄せたり、押し戻したりするさ まざまな機構も可能となります。これはプランジャと呼ばれます。
たとえばカメラのオートフォーカスやシャッター機構、ヘッドホンステレオの正転 、逆転、停止モードのリモートコントロールなどにも、磁石と電磁石、そしてバネを 組み合わせた各種プランジャが利用されています。
ちなみに水洗トイレが詰まったとき、棒の先にゴム製のお椀のようなものがついた 道具が使われます。これもプランジャといいます。プランジ(plunge)とは突っ込む という意味の英語。モータのような回転運動ばかりでなく、押したり引いたりの往復 運動にも磁石と電磁石は名コンビなのです。
図3 直流電磁リレーのしくみ(例)
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