じしゃく忍法帳
第44回「理科実験と磁石」の巻
液体は磁石に吸いつくか?
忍法は姿を変えて現代に生きている
江戸時代中期(17世紀末〜18世紀頃)は日本のルネサンス時代ともいわれます。天 下太平の世が訪れ、戦乱の心配がなくなったため、農・工・商の生産力がアップ。町 人文化が開花し、大衆が歴史の表舞台に登場しました。
ところが、忍者にとっては厳しい就職難の時代で、一部は幕府に雇われたりしてい ましたが、何しろ仕事がありません。雇われても人足(にんそく)のような仕事まで させられ、集団サボタージュやストライキ騒ぎを起こしたこともあります。
江戸時代中期には、実学という学問も盛んになりました。実学とは空理空論をもて あそぶ儒学とは違い、観察・実験に基づいた経験的な科学技術です。忍法の科学技術 的な部分も、この実学に吸収されていったようです。
しかし、忍法は歴史の流れに埋没して消え去ったわけではありません。今でもテレ ビアニメやゲームでは、さまざまな忍者がキャラクターとして活躍しています。時代 を反映して、茶髪の忍者なども登場しますが、現代の子供たちは、彼らに同化して忍 者ごっこに興じます。
忍法というのは自然を相手に、感覚・身体・頭脳をフルに機能させる科学技術の最 前線です。理科実験に目を輝かす子供たちは、みな小さな忍者といえるのかもしれま せん。
単純な磁石実験にも発見発明のヒントあり
小学校3年生の理科で、磁石が登場します。磁石は電気や化学薬品などを使わずに 、さまざまな実験ができるのがメリット。古今東西の多くの科学者・発明家もまた、 磁石の不思議に魅せられて、科学技術の発展に貢献してきました。
たかが小学生の理科実験と、バカにしてはいけません。なかなか深遠な意味をもつ 実験もあるのです。
たとえば、「磁石につくものをさがしてみよう」という実験があります。金属やプ ラスチック、木、紙など、身近なものを磁石で吸着する実験です。見かけは同じ空き 缶でも、スチール缶は吸着しますが、アルミ缶は吸着しません。金属類でも、クギや 針、クリップなど、鉄製のものだけが吸着することを学びます。
では、いったい、なぜ鉄は磁石に吸着するのでしょうか?
これは素朴ながら、磁石の本質に迫る疑問です。しかし、小学生の段階ではそこま で踏み込まず、中学、高校でも磁性体の科学など教えられないので、結局、大人にな ってもこの疑問は解けないことになります。
鉄が磁石に吸着するのは、鉄が強磁性体であるからとも説明されます。それでは、 強磁性体とは何かと問うと、磁石に吸着する物質という答えが返ってきたりします。 これでは同義反復の堂々巡りです。
鉄が磁石に吸着する理由は、たとえを用いて簡単にいえば、「鉄は眠った磁石」だ からです。磁石を近づけると、鉄は眠りから起こされて、磁石としての性質に目覚め 、磁石と引き合うのです。つまり、磁石が鉄を吸着するのは、磁石どうしの引き合い と、同じことなのです。
ただし、磁石を取り去ると、再び眠りに落ちて元の鉄に戻るのが、磁石との違い。 しかし、なかにはいったん起こされると目が冴えて、磁化を保持するものもあります 。こうしたタイプは永久磁石材料として利用されます。
図1 磁石と鉄の見分け方
磁石にソッポを向く反磁性体という物質
好奇心旺盛な子供たちは、石ころ、食べ物、手や頭など、何でも磁石を近づけて試 します。これを笑ってはいけません。かの偉大な実験家ファラデーも、木材やリンゴ 、牛肉など、身の回りのものを手当たりしだい、磁石の磁界に入れて、とうとう反磁 性を発見したからです(1845年)。
反磁性とは、近づけた磁石の磁界と反対の向きに磁化が起きる現象です。鉄などの 強磁性体は、磁石のN極を近づければS極、S極を近づければN極が生じて、磁石に 吸着します。ところが、反磁性体はヘソ曲がりな物質で、磁石を近づけると、磁石に ソッポを向くように動きます。
ビスマスは大きな反磁性を示す物質として知られます。しかし、それでも磁石どう しの反発作用にくらべれば、はるかに微弱なものです。
水も反磁性体なので、強力な磁界を加えると、水面に変化が現れることが理論的に 考えられます。たとえば、深さ2mの水に、80テスラの磁界を局所的に加えると、水 は2つに割れてしまうことが計算されています。これは「モーゼ効果」と呼ばれます 。しかし、最強の超電導磁石ですら、20テスラ前後の磁界が限界で、80テスラもの強 力磁界をつくれるような装置はありません。
自然界の多くの物質は、磁石に応答しない常磁性体です。反磁性体はこの常磁性体 とともに、磁性をほとんど示さない非磁性体として扱われ、これまで磁性体としての 応用には、ほとんど期待がかけられていませんでした。
ところが、近年、ユニークなアイデアにより、非磁性体の液体を磁石によって自在 に操ることができるようになりました。
図2 モータの原理がわかる実験
異なる液体の境界面を磁石の磁界で操る
1995年、東京大学の北沢宏一教授らは、硫酸銅水溶液とほぼ同比重の有機溶媒を重 ねて2層構造とし、2液の界面に磁界を加える実験装置を発表しました。
硫酸銅水溶液も有機溶媒も、単独では1テスラほどの磁界を加えても、その液面に 目に見えた変化は現れません。ところが、これを2層に重ねてみると、1テスラ以下 の磁界でも、2液の境界面を大きく変化させることができると分かったのです。これ は「エンハンスト・モーゼ効果」と呼ばれます。
エンハンスト・モーゼ効果の実験装置のポイントは、非磁性体の水溶液に、それと 混ざり合わないほぼ同比重の有機溶媒を重ねたことです。宇宙飛行士は水中で模擬的 な無重力状態をつくって、船外活動の訓練をします。それと同様に、エンハンスト・ モーゼ効果では、2種の液体の比重差をなくすことによって、微弱な磁性の違い(常 磁性と反磁性など)を外部磁界でコントロールすることができるのです。
重力の影響が少ないため、エンハンスト・モーゼ効果は、0.5テスラほどの磁界で も発現します。これは大型装置を必要とする超電導磁石のかわりに、ネオジム磁石な どの永久磁石が利用でき、装置の小型化が可能になることを意味します。
TDKは東京大学と協力して、このエンハンスト・モーゼ効果の応用面の研究をし ています。非磁性液体の組み合わせや、磁界の加え方などを工夫すれば、片方の液体 を盛り上げたり、へこませたり、粘土細工のようにコントロールできることも分かり ました。
液体間の界面を磁界によってコントロールするというのは、今までなかった全く新 しい技術。化学、冶金、バイオテクノロジーをはじめとする広範な分野での応用が期 待でき、液体レンズ、液体バルブ、化学反応スイッチなども構想されています。
磁石に吸い寄せられるのは、鉄だけではありません。あっと驚くような応用を、柔 らか頭の小学生が考えつくかもしれません。
図3 エンハンスト・モーゼ効果
TDKは磁性技術で世界をリードする総合電子部品メーカーです