じしゃく忍法帳
第25回「デジタル通信は電信機から」の巻
電信機の発明者はいったい誰か?
画家にして電気技師モールスの特異な才能
人をたぶらかすような大ウソをつくことを「ホラを吹く」といいます。これは昔の合 戦において、進攻・退却の合図として、ラッパのように吹かれたホラ貝(法螺貝)に 由来するものです。ホラ貝は南海の海底に生息する大型の巻き貝です。貝殻のてっぺ んを削って、歌口(うたくち)をつけて吹くと、らせん状に広がった空洞によって、 大きな音を出すことができます。
ホラ貝はまた山中で修行する山伏(やまぶし)の情報伝達手段にもなっていました。 山伏は合図や指令を音で知らせるために、いろは48文字を吹き分けたともいわれます。 山岳信仰と仏教が合体した修験道(しゅげんどう)は、奈良時代の役行者(えんのぎ ょうじゃ)を祖として、平安時代に完成された日本仏教の一派です。山伏とはもとも と山野をめぐり歩く修行者のことですが、貴族を中心とした朝廷勢力との対抗上、兵 法も身につけるようになりました。日本の忍法はこの山伏兵法から分離して、独自の 発展を遂げたものといわれます。
敵に気づかれぬように行動する忍者においては、ホラ貝よりも音を立てないタイマツ やノロシが、合図の信号として使われました。ホラ貝は音、タイマツやノロシは光や 煙による一種のデジタル通信です。
近代のデジタル通信の始まりは、19世紀の電信機です。モールス電信の発明者である アメリカのモールス(モースと呼ぶのが正しい)は、ちょっと変わった経歴の持ち主 です。最初は画家をめざしてロンドンで美術の勉強をし、帰国後、ニューヨークで美 術大学の教授となりました。電磁石を利用した通信のアイデアが生まれたのは、再び ヨーロッパに渡って帰国する際の大西洋航路の船上だったといわれます。モールスは 同船したある学者から、当時、発明まもない電磁石の仕組みについて説明を受けたの です。興味を覚えたモールスは、船旅の退屈まぎれに、あれこれ考えをめぐらすうち に、電磁石を通信に利用できることを思いつきました。トンツー(・-)の長短2種 の信号を組み合わせることで、アルファベットを表せることに気づいたのです。
最初の実用化は5針式電信機
ニューヨークに帰ってから、モールスは早速、アトリエで電信機の製作や実験に取り かかる一方、トンツー(・-)を組み合わせた符号のあり方を研究しました。印刷所 における活字の使用頻度まで調べたところ、最もよく使われる活字はE、次にTでし た。そこで、モールスはEやTには最も短い「・」や「-」をあて、あまり使われな いXやZなどには、4つのトン・ツーを組み合わせるなどの工夫をして、アルファベ ット26文字とトン・ツー符号の対照表をつくりあげました。これを基本として、のち に数字や記号なども追加・整備されたのがモールス符号です。
モールス電信機が発明され、公開実験されたのは1837年のことです。モールスは実用 化に向けて政府に出資を求めましたが、当初、政府はそれをことわりました。モール ス電信機の将来性を見抜けなかったのでしょう。ようやく政府の出資を受け、ワシン トン〜ボルチモア間の最初の実用的な電信線が完成したのは1844年になってからのこ とでした。
ところで、電信機の発明史はいささか複雑です。モールス電信機の発明と同じ年の18 37年、イギリスの物理学者ホイートストンが5針式電信機を考案して、モールス電信 機よりも早く実用化されているからです。ホイートストンの5針式電信機というのは 、図のように5つの磁針を備えたものです。磁針は振れる・振れないの2通りの状態 があるので、2の5乗=32通りの組み合わせがつくれます。ホイートストンはアルフ ァベット文字を盤上に配列することで、磁針の振れがどの文字を表すかを一目で読み 取れるようにしました。今日風にいえば、5ビットのデジタル通信です。
電信機の発明史が錯綜している理由
ホイートストンの電信機は、トンツー符号を覚える必要もなく、誰にも読み取れるの で便利ですが、難点は5つの磁針を独立して動かすための多数の電線を必要とするこ とでした。実験装置はともかくとして、数10km、数100kmも離れた地点を結ぶとなる と、電線架設の費用がかかりすぎてしまいます。また、故障の少なさや伝送速度のう えでモールス電信機のほうがすぐれていることが分かり、ホイートストンの電信機は 姿を消してしまいました。
ところで、電信の発明史が複雑であると前述したのは、このホイートストンの電信機 が、彼のオリジナルではなく、もともとロシアの外交官シリングの発明によるものだ からです。文字盤によって一目で読み取れるようにしたのはホイートストンのアイデ アですが、原理そのものはシリングが1831年にすでに考案していたのです。当時のロ シアはまだ技術的な後進国で、実験だけに終わってしまいましたが、イギリスの元軍 人クックがロシアを訪れたとき、このシリングの電信機に目をつけて企業化を思い立 ちました。帰国後、彼は物理学者のホイートストンに話をもちかけて実現したのがホイートストンの5針式電信機です。
磁石による無線通信を考えた魔術家キルヒャー
19世紀初めは電磁気学が産声を上げた時代です。1820年、デンマークのエルステッド によって電流の磁気作用が発見され、同年にはフランスのアンペールによって、アン ペールの法則が導かれました。その後、ほどなくコイルが強い磁界をつくることや、 鉄心に巻いたコイルに電流を流すと、電磁石となることも発見されました。電信機と いうのは発電機やモータに先立つ、最も早い電磁石の応用装置です。
ところで、電磁石はおろか電池もなかった17世紀に、磁石を利用した遠隔通信のアイ デアを思いついた人物がいます。カトリック教会のイエズス会士で、万能学者とも魔 術師とも呼ばれたドイツのキルヒャーです。彼は磁石どうしが引き合ったり、反発し あったりする現象を利用すれば、遠隔地を結ぶ一種の無線電信が可能であると考えた のです。今日からしてみれば荒唐無稽なアイデアですが、当時はまだ磁石には神秘的 な遠隔作用が存在すると信じられていました。どうやらキルヒャーは、磁石の作用と いうのはテレパシーのように伝わると考えていたようです。
キルヒャーは人々を信仰に導くために科学マジックをさかんに利用したことでも知ら れます。幻灯機(スライドプロジェクタの前身)のような装置をつくり、暗闇に悪魔 の絵を映し出して、人々を恐れさせたとも伝えられます。今日のオカルト映画のハシ リのようなものです。
16世紀に日本を訪れたヨーロッパの宣教師も、日本でのキリスト教 布教の許可を得るため、戦国武将にさかんに科学マジックを披露したことが史書に残 っています。キリシタン伴天連(バテレン=神父という意味のポルトガル語)の妖術 と、日本古来の忍術とが技くらべするというような話は、この時代から生まれたよう です。
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