じしゃく忍法帳

第21回「マグネットチャック」の巻

一瞬のうちに磁力を断つ術

手品でも使われる忍法の陽中陰の術

中国・戦国時代(前4世紀)に生まれた『孫子』は、世界最古にして最高の兵法書と いわれ、今日でも経営者などに広く愛読されています。 「戦わずして人の兵を屈す」というのが、『孫子』の兵法の眼目です。武力で敵をね じふせるよりも、智力で敵を制することを重視し、そのためには積極的に間(かん) を用いるべしと説いています。

間は日本では古く「志能便(しのび=忍び)」と呼ばれました。これは「便」すなわち 情報の入手に、能(よ)く志す者という意味といわれます。孫子の兵法と忍法は、 深いつながりがあります。いつの時代にも、戦争というのは諜報戦なのです。

忍法には陰術と陽術があります。敵陣にひそかに潜入したり、物陰にたくみに隠れた りするのは陰術で、変装して堂々と侵入したりするのは陽術です。しかし、忍法の極 意は、陰術と陽術を臨機応変に組み合わせることにあるといわれます。たとえば、ま ず女性忍者(いわゆる「くノ一」)を送って相手を油断させたり、ケンカや放火、大 声を上げるなどで敵の注意をそらしたりするのは、陽中陰の術と呼ばれます。

陽中陰の術とは、今日でいう陽動作戦に似たもので、手品における常套テクニックで もあります。手品師は身振り手振りで観客の目をそらしながら、タネやシカケは観客 の見えないところでこっそり行使します。

磁石の応用製品が、しばしば手品のように見え るのも、磁石から発する磁力線の流れが、目 に見えないからです。鉄を吸着しない磁石などありません。しかし、鉄を吸着する作用はいわば磁石の陽の術。陽中陰の術を使えば、鉄を吸着する磁石の性質を、 一瞬のうちに消し去ることも可能です。工作機械で加工物を固定するときなどに使わ れるマグネットチャックは、その代表的な応用例です。

金属加工に便利なマグネットチャック

旋盤などの工作機械で、加工物を機械に固定するための部分をチャックといいます。 旋盤ではドリルの刃をくわえるような機械式チャックが主に使われます。表面研削盤 では、テーブルの上に加工物を固定させ、テーブルごと動かして加工物の表面仕上げ などを行います。日曜大工を趣味とする人ならお分かりいただけると思いますが、電 動工具を安全に使いこなすには、材料を作業台にしっかり固定することが大切です。 そこでネジ式のクランプが使われたりしますが、加工のたびにクランプを締めたり緩 めたりする作業は、かなり面倒なものです。

表面研削盤の加工物は主に鉄製品ですから、電磁石の磁力で加工物をテーブルに吸着 ・固定する電磁式チャックが考えられます。しかし、電磁石ではなく永久磁石を利用 すると、構造がシンプルでローコストかつ信頼性の高いマグネットチャックがつくれ ます。ただ問題なのは、磁力が強ければ強いほど、テーブルへの固定は確実になるも のの、取り外すときにも強い力を必要とすることです。といって、冷蔵庫のドアなど に吸着させるマグネット画鋲のように、ホドホドの磁力ですませるというわけにはい きません。

鉄を吸着するのは磁石の基本的性質です。その性質を利用しておきながら、加工後は その性質が邪魔になるというのは虫がよすぎる話です。しかし、道理を曲げずにこの 無理が通ってしまうところが、マグネットチャックの面白さです。

磁力線の経路を継鉄で制御する

平面研削盤などの工作機械で使われているマグネットチャックは、加工物の磁石への 吸着をワンタッチでON/OFFできる便利な機能をもっています。電磁石でもない のに、これはとても不思議なことです。といって、複雑難解なシカケがあるわけでは ありません。

マグネットチャックの原理は図1に示すように、実に簡単なものです。そのシカケのポ イントは、磁石と継鉄(ヨークといいます)の組み合わせにあります。 継鉄とは『広辞苑』にも載っていないぐらい、あまり一般になじみのない用語ですが 、磁石の応用を考えるうえで非常に大切なものです。

継鉄は磁石とともに用い、磁気回路の一部となる鉄片のことです。継鉄には軟鉄が用 いられます。軟鉄は外部磁界によって一時磁石となります。しかし、磁化の保持力が 著しく小さいので、外部磁界を取り去ればただの鉄に戻ってしまいます。これは磁石 に吸着しているときは磁石の延長となり、磁石に吸着していないときは単なる鉄とな ることを意味します。

図1で示したマグネットチャックは、磁極を逆向きにした磁石を、サンドイッチ状に並 べたものです。また、これらの磁石と加工物との間には、磁石と同じ間隔で並んだ継 鉄板が据えられています。実際に加工物を吸着するのはこの継鉄板です。図1の左は 加工 時の状態です。磁極のすきまから漏洩する磁力線は、継鉄を経由し、鉄材料からなる 加工物の内部を通ることになるので、加工物はしっかりと継鉄板に吸着して固定され ます。

マグネットチャックの磁力のON/OFF機能は、この継鉄板をスライドさせること で実現されます。強い磁力で吸着している加工物は、そのままでは取り外せません。 しかし、加工が終了したとき、図1の右のように継鉄板をスライドさせると、磁力線の経 路が変わり、それまで加工物を通っていた磁力線の流れは断たれてしまいます。 つまり、磁力線が継鉄から加工物に至る大回りのルートをとったときは、ON機能と なって加工物が吸着し、継鉄のみの近道をとった場合は、OFF機能となって加工物 は吸着しません。したがって、しっかり固定していた加工物も、いとも簡単に取り外 すことができるのです。

一時磁石となる継鉄こそ陰の主役

永久磁石はその名の通り、加熱その他の人為的な消磁を行わないかぎり、長期間にわ たり磁力を保持します。しかし、磁石が鉄を吸着する性質を簡単な実験でなくす ことができます。たとえば、馬蹄形磁石のN極とS極に鉄片を渡すと、外部に露出す る磁極がなくなり、鉄を吸着しなくなります。これは電気のプラスとマイナスをショ ートさせるように、磁極をショートさせると、磁力線は磁石や鉄の内部を還流するよ うになるからです。逆にいうと還流する磁気回路の一部を切断してできた切断面が、 磁石のN極・S極ということになります。

磁石は鉄を吸着するからこそ磁石です。しかし、磁石と継鉄を組み合わせ、磁力線の 流れを制御すると、マグネットチャックのような便利な道具もつくれます。しかも、 磁石の形状にはかぎりがありますが、継鉄と組み合わせると、継鉄は磁石の延長とし て磁力線を自由に誘導できます。実は発電機やスピーカなど、磁石応用製品の陰の主 役になっているのは継鉄です。

磁石と継鉄の組み合わせは、磁石の応用における陽中陰の術というべきものです。陽 中陰の術があるならば、当然ながら陰中陽の術も考えられます。忍法の極意である陰 術と陽術の組み合わせをさらに追求すれば、マグネットチャックのようなユニークな 発明もひらめくかもしれません。

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