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GRAIN40 ヒステリシス・ハードボイルド
ヒステリシス・ハードボイルド
前節では、ヒステリシスループの減量に失敗する極めてシリアスな2つの"落とし穴"について確認していただいたが、この節では、ヒステリシスループの腰を細く絞り込む特殊工作など、ループの形をいろいろに操作する"奥の手"をご覧いただこう。
μiの経時変化を追ったGRAIN 33で詳説したとおり、あるべき場所に金属イオンが欠落した空格子点は、磁極エネルギーが最小となる安定位置に腰を落ち着けている磁壁に向けて、上のモデルに示すような拡散移動を果たす。そして、結晶格子にまぎれ込んだ不純物原子同様、個々の空格子点もまた、それぞれの単位胞において結晶磁気異方性エネルギーWkの谷間をさらに掘り下げる誘導磁気異方性Kuを発現する。空格子の磁壁への集中によりKuの作用がひとつふたつと重なることにより、磁壁エネルギーのレベルとその幅を決定する結晶磁気異方性エネルギーWkと超交換相互作用のエネルギーWaの最小和も、Kuのくぼみが次第に深まるにつれ、結晶磁気異方性エネルギーWkが増大する方向で変化する。つまり、その結果、磁壁の幅は徐々にせばまり(磁壁中の単位胞、すなわち磁気モーメントの数が少なくなり)、動きも純くなってμiの低下をもたらすのであった。
だが、モノは使いようである。μiを衰退させる忌まわしい空格子も、巧くあしらえば、ヒステリシスループの腹をへこませる妙薬となる。
上のモデルの左端は、すでにおなじみの結晶磁気異方性エネルギーWkの障壁を描いたK1モデルである。エネルギー障壁の谷間に落ち着いているグレーの矢印は、磁壁を挟んで隣接するそれぞれの磁区に宿る磁気モーメント(相互に反平行を向いている)を示し、Wkの障壁と同じ赤紫色の矢印は、磁壁中の磁気モーメントを示している。そして、空格子の拡散移動に起因する誘導磁気異方性Kuが、Wkの谷間をさらに深く掘り下げた状態が、その隣のモデルである。磁壁エネルギーが上昇し、磁壁を構成する単位胞が少なくなる(磁壁の幅が狭くなる)ので、磁気モーメントの数も少なめに描いている。さて、ここまでは、これまでの考察の復習である。
"奥の手"は、その右に並ぶ2つのモデル。まず、μiの極大値をもたらす結晶磁気異方性定数K1ゼロのポイントが実用温度範囲に現われるように組成を御制する(手法は、GRAIN 18で詳説)。K1は、すなわちWkの障壁の高さを意味しているので、これが0ということになれば、磁壁エネルギーは一気に低下し、磁壁の幅も広がるので、磁壁中の磁気モーメントは微弱な交流磁界に鋭敏に反応してスルスルとよく動くようになる。
が、ここで、右端のモデル、次の一手を打つと、ヒステリシスループにセクシーな腰のくびれをつける"奥の手"となる。K1を0とした組成のベースに、空格子点を積極的に取り込んで、誘導磁気異方性Kuのくぼみをつけるので、μiは、当然ながら犠牲になる。しかし、この操作で、初透磁率領域におけるヒステリシス損失と残留磁束密度Brを大幅に抑制する必要のある用途に最適なパーミンバー型のヒステリシスループをモノにすることができるのである。左の一般的なヒステリシスループと比較すると明らかだが、K1が0なので、Kuのくぼみを脱した後の磁壁の動きはなめらかで、帰途につくときには、Kuのくぼみに転がり落ちるように元の安定点近傍まで復帰できるようになる。
そして、これとは逆に、Kuを徹底的に排除しながら、正の異方性を示す2価鉄の生成もぎりぎりまで抑制し、圧倒的な負の結晶磁気異方性を引き出すと、下のモデルの(2)に示した"下駄顔"のヒステリシスループが得られる。結晶磁気異方性エネルギーWkの障壁がここまで大きくなると、相応の磁界を加えなければ、磁壁は一歩も先に進めなくなり、いざ動きだすと、跳躍的な移動をとげて、磁束密度を一気に飽和点まで押し上げることになる。今日では特殊な用途に限られてしまったが、ひと昔前には、コンピュータのスイッチング素子、すなわち+側と-側の磁化の識別による記憶素子として、この"下駄顔"はおおいにモテたものである。いずれにせよ、KuとK1は、ヒステリシス損失を操作する上での重要な鍵であり、技術はときとして、毒をも妙薬と化すハードボイルドな一面を持つ。
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