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GRAIN38 ヒステリシス・プロフィール
ヒステリシス・プロフィール
磁壁共鳴から始めた損失因子を探る旅も、歩を進めるごとに微細な世界にすべり込むことになり、ついに渦電流をもたらす電子1個の変位を追いかけるところまで来てしまったが、いよいよ"μ泣かせ"の異名を持つヒステリシス損失の出番である。
磁壁移動の様子をのぞいた際に、行きはよいよい帰りは怖い、と思わず口ずさみそうになる悲劇的なシーンが、これまでにいくつか登場したが、GRAIN 12(結晶欠陥と磁壁移動/磁壁をはばむ落とし穴)でご覧いただいた泣きのシーンの「完結篇」を以下に示す。
GRAIN 12では、交流磁界に背を押されたグレインが、ゆくてにそびえる欠陥エネルギー障壁に足をとられながらも、なんとかグレインの突端まで走り抜けたところで、めでたしめでたしであった(上のモデルでは、上段右端のH3まで)。
めでたいエンディングで、磁壁の背を押していた交流磁界がピーク(H3)に達し、磁壁は消失してグレインは単磁区と化した。このモデルでは、交流磁界の方位と磁区内の磁気モーメントの方位が揃っているので、このグレインに関しては、H3の段階で完全な飽和に達したことになる。しかし、これから先の磁壁は、じつにみじめなのである。ピークに達した交流磁界のパワーは、間髪を入れず急速に減じる。と同時に、消失した磁壁は復活し、グレイン中央の元の安定位置に戻ろうとするが、見上げれば、来たときと同じように、くだんの欠陥エネルギー障壁がゆくてをはばんでいる。すでに背を押してくれる磁界はない。ないどころか、どんどんゼロに近づいていく。
あわてた磁壁は仕方なくひとりで山越えに挑戦するが(H4)、無念、力及ばず、途中で息絶えてしまう(H5、H=0)と書くと、またまた、交流磁界の足の早さに泣かされる磁壁の話か、と思われる方も多かろう。だが、今回、磁壁を悪戦苦闘させているのは、磁壁移動の舞台、すなわちグレインそのものの"出来の悪さ"なのである。
グレインモデルの下にある棒グラフ状のでこぼこが、空孔や結晶格子のゆがみ、あるいは不純物による局部的な誘導磁気異方性や粒界応力などがからみ合った欠陥エネルギー障壁を意味し、その上を移動する球体が磁壁を象徴していることは、GRAIN 12ですでにお伝えしたとおりである。初出のモデル図と少し異なる点は、障壁の立つ土台が、グレインの突端に向かうにつれせり上がっている点である。つまり坂道の上に障壁が形成されている。これは、磁壁が中央の安定位置からずれるにしたがい次第に増大する磁極エネルギーの高まりを示している。グレインの端に追いやられるほど、磁壁を元の中央位置に引き戻す力は大きくなる、という変化を、坂の傾斜(位置エネルギー)で示している。
リアリティを強化したこの補正により、欠陥エネルギーの障壁がひとつもない理想的なグレインにおいては、磁壁のゆくては平坦な坂道になるので、磁化プロセスは、H=0の初期状態とH1の間を往復する初磁化領域だけではなく、H=0からH3に至る飽和までの過程で可逆的なものとなり、グレインの突端に達した磁壁も磁極エネルギーの引力(坂道の勾配)によってスルスルと元の安定位置まで戻れることになる。
そのような理想的な"舞台"においては、磁界変化と磁化変化の関係を表わすヒステリシスループに描かれた残留磁束密度Brも保磁力Hcも観測されることなく、磁化変化はBH座標の原点0からのびる中央のグレーのライン(初磁化曲線)上を往復するだけとなる。
ところが、欠陥因子を全く含まない理想結晶というものは、天然、人工の区別なくこの地球上には存在しない。つまり、交流磁界の相手をつとめる限り、磁壁は悲劇の主人公を演じ続けなければならない運命にあるわけだが、まさに、磁壁が背負ったこの宿命的な境遇、すなわち、舞台、グレインに内在する種々の欠陥に起因して引き起こされる磁界変化に対する磁化変化の遅れこそ、"μ泣かせ"の異名を持つヒステリシス損失そのものの意味なのである。舌をかみそうなこの呼び名も、じつはギリシャ語の"残留"から引いたもので、欠陥エネルギー障壁に足をとられてもたつく磁壁の姿にはうってつけの命名ではあるが、H6 に示すように、磁壁を元の安定位置に戻すには、反対方向へ磁界を加えてやらなければならず、"舞台"の出来の悪さには、交流磁界もまた余計な汗をかかされ消耗するわけである。
補足
GRAIN 12で描いたモデルでは、磁壁を"引きつける"空孔の働きを表わすために、磁壁の安定位置をエネルギー障壁の頂点に置き、このモデルでも、その表現を踏襲したが、正確には、磁壁の安定位置は、常にエネルギー障壁の谷間に存在する。つまり、欠陥因子の生成、取り込みにより磁壁の動きが鈍化するのは、それらの生みだすエネルギー障壁の谷間に磁壁中の磁気モーメントがとらえられるからで、磁区内の磁気モーメントが結晶磁気異方性エネルギーの谷間(磁化容易軸方位=異方性磁界HA方位)に安定する理屈と同じである。
なお、冒頭のグレインの時系列モデルに示した磁壁移動の各ポイント(H=0→H1→ H6)のイラストを、初磁化曲線と、その周りを囲むヒステリシスループ上にも付しておいたので、比較検討していただければ、この損失のイメージもより鮮明になるかと思う。
たとえば、グレインの時系列モデルでは、安定位置(H=0)からグレイン外(H3)に至った磁壁を、また元の安定位置にもどすまでに"浪費"される磁界エネルギー量を表現することはできないが、ヒステリシスループに磁壁の動きを読み取れば、それがグリーンに着彩された面積に相当することにお気づきになるだろう(損失がゼロならば、H3→H4→H5→H=0→H6までの過程は原点0→H1→H2→H3の往復となり、グリーンの面積は発生しない)。つまり、交流磁界が1周期変化する間に発生するヒステリシス損失は、ヒステリシスループ内の総面積で表わされることになり、損失制御の方策も、このふくらみをいかにスリムにするか、という方向でまさぐられることになる。
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