じしゃく忍法帳

第104回「磁石の吸着力の活用法」の巻

磁石のパワーリフティング

磁石の吸着力は予想以上に大きい

 岩壁をよじ登るクライミングの大原則に“3点支持”と呼ばれるものがあります。両手・両足の4点のうち、必ず3点はホールド(手がかり)やフットホールド(足がかり)とし、残りの1点だけフリーに使うというもの。つまり、動かしてよいのは片方の手あるいは片方の足だけということになります。こうすることによって、もし1点の支持を失っても、残りの2点が体を支えて滑落を防いでくれます。ハシゴを昇り降りするときなどの安全対策にもなるので、覚えておくと役に立ちます。

 どんな名クライマーもホールドのない壁面は登れませんが、タコ(蛸)は吸盤を使ってツルツルの壁面でも、傾斜が90°以上のオーバーハングの壁面でも難なく登っていきます。これをヒントにした壁面移動ロボットも考案されています。4つ足のそれぞれに吸盤をつけ、真空吸引によって壁面に吸着しながら移動するロボットです。

 石油タンクのような鉄材の壁面では、磁石の吸着力も利用できます。磁石の吸着力はぴったりと平面で接触している場合は予想以上に強力なものです。冷蔵庫などに吸いつけて紙押さえなどに利用しているフェライト磁石でも、数kgの物体を吊り下げることができます。ネオジム磁石ならばさらに強力で、大人の体重を吊り下げるなどわけがありません。しかし、吸着力が大きいというのは、引きはがすにも強い力が必要ということになります。磁石式の壁面移動ロボットの場合は、吸着ばかりでなく離脱の方法を考えなければなりません。

磁石吸着式のロボットでは離脱が技術ポイント

 磁石の磁束はN極から出て、S極に戻ります。鉄はこの磁束を吸収し、自らが磁束の短絡路となることで磁石に吸着します。したがって、吸着した磁石を鉄からひきはがすには、別の短絡路を設けて磁気回路を切り替えてやればよいことになります。

 磁束の転轍機(てんてつき)ともいうべき仕組みはいろいろと考えられますが、図1に示すのは円形磁石を用いた1例です。磁石を90°回転するごとに、磁束は鉄材を通ったり、ヨーク(継鉄)を通ったりと交互に切り替わります。加工する鉄材を容易に着脱できるので、工作機のマグネットチャックなどとして使われています。

 磁束を切り替えるだけとはいっても、強力な磁石の場合はかなりの力を要するので、マグネットチャックなどではテコを利用したレバーなどが使われます。磁石の吸着力を利用した壁面移動ロボットにおいても、ここが最大の技術ポイントとなります。つまり吸着力が大きくなるほど磁束切り替えの力も大きくなるのです。そこで、バネの力を助けとして離脱を容易にした壁面移動ロボットも考案されています。

 電磁石を利用すると、離脱の問題は簡単に解決します。電流を流せば磁石となって吸着し、電流を切れば吸着力を失うからです。直径50mmほどの鉄心にエナメル線を100〜200回ほど巻いただけの簡単な電磁石でも、乾電池1個で大人をらくらく吊り下げることができます。ただし棒状の鉄心に巻くだけでは、このような強力な吸着力は得られません。

 冷蔵庫の紙押さえに使われるフェライト磁石では、鉄製キャップを被せたものが使われます。この鉄製キャップは磁石を保護するためのものではなく、磁束を誘導するヨークの役目をもたせたもの。磁石はN・S両極を接近させたほうが、より多くの磁束が利用でき、鉄を強く吸着することになります。強力な電磁石も鉄心とヨークを組み合わせた構造となっています。



図1 磁石の磁気回路の考え方

数トンの鉄材を吸いけるリフティングマグネット

 リフティングマグネットと呼ばれる産業機器があります。巨大な電磁石を利用して鋼板やスクラップの鉄材を持ち上げて移動させる機械です。電磁石をケーブルで吊り下げて工場の天井クレーンとして使われるほか、パワーショベルのショベルの部分を電磁石としたものもあります。金属リサイクルやスクラップ鉄材の処理、ビルの解体現場などで大活躍している産業機器です。性能はさまざまですが、だいたい直径1〜2mほどの電磁石で、数トンの鉄材を吸着することができます。

 電磁石を大きくすれば、それだけ吸着力も増大しますが、これはあまり賢くはありません。吸いつける鉄材が曲面だったりすると、実際の接触面積が小さくなって、吸着力を十分に発揮できないからです。そこで、天井クレーン用などでは小型の電磁石を複数搭載したリフティングマグネットも利用されます。たとえば鉄板などを吸着して持ち上げると、自重によって鉄板はたわんでしまいますが、複数の電磁石のそれぞれがたわみに合わせて傾くので、磁束を無駄なく活用できるのです。

 電磁石の欠点は通電を必要とすること。リフティングマグネットともなると消費電力は数kW以上にも及び、連続して流し続けると発熱によりコイルを破損することにもなります。そこで永久磁石と電磁石を組み合わせたタイプも利用されています。吸着するときは永久磁石と電磁石の双方の磁束を用いるので、電磁石に流す電流を低く抑えることができ、離脱させるときは電磁石の電流方向を逆にします。こうすると永久磁石の磁束がキャンセルされて、容易に離脱させることができます。



図2 永久磁石と電磁石を併用したリフティングマグネットの構造

磁石には最も効率的な形状がある

 永久磁石のパワーは、大は産業機器から小はモバイル機器まで、社会のさまざまな分野で活躍しています。珍しい例としては、斜張橋の制震用などにも利用されています。斜張橋とは塔から斜めに張ったケーブルで橋げたを支える構造の橋です。この橋げたを吊るケーブルはある固有振動数で振動しますが、地震や強風などで振幅が一定以上になったとき、磁石で吸引して振動を抑制するしくみです。いったん設置すればエネルギー補給を必要としないところも永久磁石のメリットです。

 ところで、そもそも永久磁石の吸着力とはどのように表わされるのでしょうか? 残念ながら磁石の種類や形状、吸着物の形状・材質などによって異なるので、数式で簡単に示すことはできません。最も単純な円柱形磁石で考えてみても、乾電池のように2個直列に接続したからといって吸着力が2倍になるわけではありません。ある体積の磁石において、その断面積と長さには最も効率的な比があるのです。

 この比は磁石の種類によって異なります。理科実験などに使われる炭素鋼の磁石は長い棒磁石が効率的で、フェライト磁石ではずんぐりとした形状が効率的です。

 磁極どうしの距離を狭めると磁束をより有効に利用できて吸着力も高まります。棒磁石を曲げて馬蹄形(U字形)磁石にしたり、円板状のフェライト磁石に鉄製キャップをヨークとして被せるのも同じ意味があるのです。省電力がシビアに要求されるモータなどでは、磁石のパワーをできだけ無駄なく利用するために、ヨークを含めた磁気回路の設計が非常に重要になります。

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