じしゃく忍法帳

第95回「宇宙機器と磁石」の巻

衛星電波を増幅するパワフルな進行波管

無重力状態でロウソクの炎が消えるのはなぜ?

 無重力環境では、まるで忍法のような面白い現象が起こります。ロウソクの炎がすぐに消えてしまうというのもその1つ。無重力のために炎のまわりに二酸化炭素が充満して、部分的な酸欠状態が生じるからです。地上でこのようなことが起こらないのは、暖かい燃焼ガスが上昇して自然対流が生まれ、たえず新鮮な空気が供給されるからです。

 面白いことにロウソクの炎に磁石の磁界を加えると、無重力状態でも炎は燃え続けるそうです。これは北海道・上砂川にある地下無重力実験センター(地下に掘った垂直トンネルの中で、自由落下させて無重力状態をつくる施設。2003年3月閉鎖)の実験で確かめられています。ロウソクの炎というのは灼熱状態の炭素の微粒子。炭素は反磁性体なので、磁界に押し出され、結果として周囲から酸素が供給されるようです(第66回「ロウソクの炎と磁石」もご参照ください)。

 無重力状態においては、宇宙船や宇宙服の中でも、呼気が滞留すると酸欠状態となってしまうため、万全の空調装置や二酸化炭素吸収装置などが設けられています。こうした装置には磁石を利用した小型モータが使われるのはもちろん、宇宙服や宇宙機器のシール用などにも磁性流体が利用されています。エネルギーの補給なしに磁力を保つ永久磁石は、宇宙環境では好都合なのです。

高出力が要求される衛星放送の電波

 通信衛星や放送衛星などにおいて、地上局からの電波を受信し、これを増幅して地上に送り返す中継器のことをトランスポンダといいます。このトランスポンダの電波増幅器には、進行波管(TWT)と呼ばれる特殊なマイクロ波用真空管が使われます。この進行波管にも電磁石の磁界が利用されています。

 衛星と地球とを結ぶ通信電波は、波長が10〜1cmのマイクロ波が使われます。このうち1〜10数GHzの周波数帯が衛星通信には特に適しています。周波数がこれ以下では宇宙雑音が多く、これ以上では大気中の水蒸気や水滴による吸収や散乱、酸素分子の吸収などによる減衰が大きくなってしまうからです。1971年に放送衛星に使用する電波の周波数が国際的に定められることになり、放送衛星には12GHz帯のマイクロ波が優先的に割り当てられました。

 衛星放送の電波は、50 cm程度の家庭用パラボラアンテナでも受信できるように、通信衛星よりも高い電力で設計されています。このため電波を増幅する進行波管も、出力の大きなものが必要となります。

 進行波管はクライストロン(速度変調管)というマイクロ波用真空管を発展させたもの。共鳴箱に取り付けた2つの音叉を離しておいて、片方の音叉を鳴らすと、もう一方の音叉も鳴り始めます。これと同様に、2つの空洞共振器を電極ではさんだ構造となっているのが直進型と呼ばれるクライストロン。入力共振器に入った電波は、出力共振器から出てきますが、その間に陰極から陽極に向けて放出された電子流によってエネルギー供給されて、電波が増幅されるというしくみです。



図1 クライストロンの構造

進行波管には永久磁石も使われる

 クライストロンは空洞共振器を利用しているので、増幅できる電波の帯域が狭いという欠点があります。放送電波のような広帯域の電波の増幅には向かないのです。この欠点を克服して開発されたのが進行波管です。

 進行波管とはその名が示すように、電波を進行波のまま通過させる間に、陽極から放出される電子流との干渉により、いわば電波をプッシュしながら増幅させる方式です。しかし、電波の速度は電子流とくらべて速すぎるため、そのままでは電波と電子流とは干渉できません。つまり、プッシュしようにも、「暖簾(のれん)に腕押し」のようになってしまいます。そこで、高電圧によって電子流の速度を上げるとともに、電波の通路として、らせん状の導体が用いられます。電波をらせん状に迂回させることによって、直進する電子流の速度に近づけるのです。

 らせん導体の周囲には電磁石となるソレノイドコイルが巻かれます。これはコイルが発生する磁界によって、電子流を収束させる役目を担っています。また、これだけでは電波は逆流して発振してしまうので、中間に減衰器を設けています。これは三極管(真空管)の陽極とグリッドの間に、さらに遮蔽グリッドや抑制グリッドを設けた四極管や五極管の構造と似ています。もともと進行波管は真空管技術の延長として開発されたものなのです。

 進行波管には永久磁石も利用したタイプもあります。軸方向に多数の永久磁石を並べ、周期的な磁界によって電子流を収束させる方式です。均一磁界しか供給できないソレノイドコイルと比べて、小型・軽量化が実現します。



図2 進行波管(TWT)の構造

マグネトロンもマイクロ波用真空管の一種

 進行波管には高電圧が加えられるため、衛星放送の初期のころは進行波管の故障が相次ぎましたが、その後の技術進歩により、本格的な衛星放送時代が到来しました。1985年に打ち上げられた日本のBS-2は世界初の実用放送衛星で、送信出力100Wの進行波管3本を搭載していました。1990年にはBS-2の後継機としてBS-3が打ち上げられ、1997年にはBS-3の後継機としてBSAT-1が、さらに2001年にはBSAT-2が打ち上げられました。BSデジタル放送は、このBSAT-2を利用しています。

 将来の衛星放送においては、21GHz帯やそれ以上の電波が利用され、ハイビジョンを超える高精細な映像も可能になるといわれます。このようなミリ波帯の電波は、前述したように降雨の影響を受けやすくなります。そこで、降雨の状況に応じて、送信出力を変化させる可変ビームパターン衛星や、そこに搭載される小型・高性能の進行波管の開発も進められています。

 ちなみに、レーダや電子レンジなどに使われるマグネトロン(磁電管)も、磁石を利用したマイクロ波用真空管の一種です。陰極から放出された電子を、磁石の磁界によって回転運動させ、その電気振動をマイクロ波として発生します。トランジスタの開発により真空管は博物館入りしたように思われていますが、その一部は姿を変えて現在もなお活躍しているのです。

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