じしゃく忍法帳

第47回「人工義歯のミニ磁石」の巻

強力な希土類磁石で入れ歯を固定

柳生十兵衛の弟は総入れ歯だった

徳川将軍家の剣術指南として知られる柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)は、 室町時代後期に誕生した陰流がルーツです。この陰流を習得した剣豪・上泉秀綱(か みいずみひでつな)によって新陰流が編み出され、その門人の柳生宗厳(やぎゅうむ ねよし)によって柳生新陰流が創始されました。

剣術が兵法や忍法から独立して成長を遂げたのは、戦乱の世が始まる室町時代後期 。陰流という名前の由来ははっきりしませんが、忍法における陰術と無関係ではない ようです。陰術とは相手の挑発に乗らずに隠忍自重し、スキを見つけてひそかに仕掛 ける術。柳生新陰流には新陰流から受け継がれた「無刀どり」という技があります。 これは相手が振るった刀をかわし、その刀を奪って相手を倒す忍法のような剣法です。

柳生新陰流の開祖・宗厳の子が宗矩(むねのり)、その子が有名な柳生十兵衛三厳 (みつよし)です。

ところで、柳生十兵衛には又七郎宗冬(むねふゆ)という弟がいました。十兵衛は 40歳そこそこで早世しましたが、又七郎は還暦を迎えるまで長生きし、彼の総入れ歯 と称されるものが残っています。

江戸時代にすでに総入れ歯が使われていたのは驚くべきことですが、現存する日本 最古の総入れ歯は、さらに1世紀ほどさかのぼります。これは1538年に死亡した和歌 山の尼僧のものといわれる総入れ歯で、奥歯部分がすり減っているので、実際に使わ れたことは確かだそうです。

当時の総入れ歯は、硬いツゲ材(印鑑や櫛などに使われるホンツゲの材)を彫り、 そこに象牙や牛の骨などを歯のかわりに埋め込んだものです。

格納したミニ磁石が歯根の固定片に吸着

江戸時代の日本の入れ歯技術は、欧米よりもはるかに進んでいました。精巧な細工 は日本人の得意とするところだったからです。はじめは仏像を彫る仏師や能面を彫る 面打ちが、その技術を生かして製作していましたが、江戸中期には現在の歯科技工士 にあたる入れ歯師という専門職人も登場しました。

前歯などの部分入れ歯には、ロウ石(道路に絵を描いたりする白く軟らかい岩石) も用いられました。加工しやすいことと、白く透明感があるので、見栄えがよかった からでしょう。ただ、部分入れ歯の固定には苦労したようで、横穴をあけてひもを通 し、健康な歯にゆわえつけて装着したようです。

歯科技術が格段に進歩した現在では、しっかりした歯根が残っていれば、差し歯( 継ぎ歯)とすることが可能です。従来の差し歯は、グラついたり、外れやすかったり という問題がありましたが、近年は強力な磁石を利用することで、着脱容易な人工義 歯が用いられるようにもなりました。

これは図1のように、虫歯や欠けたりした歯の根元に強磁性体の固定片(貴金属で メッキしたコバルトなど)を接着し、そこに磁石を格納した義歯を吸着させるもので す。原理は簡単ですが、吸着力が弱ければ、義歯はすぐに外れてしまいます。歯の中 に格納するわけですから、小さくても強力な磁石でなければ実現しません。

磁石式の義歯が可能になったのは、1960年代以降、サマリウム・コバルト磁石、ネ オジム磁石(ネオジム・鉄・ボロン磁石)といった希土類磁石が開発されたからです。

希土類元素(サマリウムやネオジムなど)は、鉄族元素(鉄、コバルト、ニッケル )と違って、単体としては実用的な磁性材料にはなりません。ところが、希土類元素 と鉄族元素の金属間化合物が、すぐれた磁石特性を示すことが1960年ごろに指摘され 、世界的に研究が進められました。こうして1966年に1-5系サマリウム・コバルト磁 石、1975年に2-17系サマリウム・コバルト磁石が開発され、その後のさらなる模索か ら、1983年にはネオジム磁石が開発されました。
 

磁石固定式の義歯の構造
図1 磁石固定式の義歯の構造

ヒステリシスカーブは磁石の性能を示す

磁性体に外部磁界を加えると、磁性体は磁化されてやがて飽和状態に達します。こ こで外部磁界を除去したとき磁性体に残る磁束密度のことを残留磁束密度(Br)とい います。

この状態から外部磁界を逆方向に加えると、磁性体の磁化の強さはしだい に弱まり、ついにはゼロになります。このときの外部磁界の強さを保磁力(Hc)とい います。こうした磁性体の磁化過程を示すのが、ヒステリシスカーブ(磁気履歴曲線 )です。

では、すぐれた磁石となるために磁性体にはどのような性質が求められるのでしょ うか?

まず注目されるのは、残留磁束密度の大きさです。しかし、残留磁束密度が大きく ても、保磁力が小さいと、はじめは強力でも自然減磁して弱まってしまいます。残留 磁束密度と保磁力の双方が大きいことがすぐれた磁石の必要不可欠な条件です。

したがって、図2のようにヒステリシスカーブの減磁曲線(xy座標の第2象限) の1点を頂点として長方形を描くと、その面積が大きいほど、すぐれた磁石となるこ とがわかります。面積が最大になるときのエネルギー積のことを、最大エネルギー積 (BH積)といいます。ヒステリシスカーブでいえば、ほっそりとしたS字より、ずん ぐり角張ったS字のほうが、すぐれた磁石となる条件を満たすことになります。

図3のように合金磁石であるアルニコ磁石は、残留磁束密度が大きいのに対して、 保磁力はやや小さいのが短所です。一方、希土類磁石は残留磁束密度と保磁力がとも に大きく、このため小さくても強い磁気パワーを発揮するのです。

強磁性体のヒステリシスカーブ
図2 強磁性体のヒステリシスカーブ

ヨークを用いて磁力線の漏れを防ぐ

義歯に格納される希土類磁石の大きさは、3mm角ほどの小さなもので、ヨーク(磁 極片)ではさむことにより吸着力を高めています。ヨークを用いるのはもう一つ重要 な意味があります。もし、ヨークを用いずに磁石の一方の極だけで固定片を吸着させ たとしたら、もう一方の極からは磁力線が漏れます。

義歯はたえず口の中に入れて使用するものなので、磁力線が漏れると、口に含んだ 鉄製品が歯に吸着してしまいます。磁気ネックレスが医療機器として承認されている ので、義歯から漏れた磁力線が人体に悪影響を及ぼすことはないと考えられています 。しかし、磁力線の漏れは可能なかぎり防ぐに越したことはありません。そこで希土 類磁石を2つのヨークではさみ、ヨークを固定片に吸着させることで閉磁路をつくり 、磁力線の漏れをなくしているのです。これはU字型磁石の両磁極に鉄片を吸着させ ると閉磁路ができて、他の鉄片を吸着しなくなるのと同じです。

義歯に格納された希土類磁石の1つあたりの吸着力は約600gほどにも達し、通常 の食べ物を噛んで、外れるということはまずないそうです。ただし、磁石式の義歯は 抜歯した箇所には使えません。磁石に吸着させる固定片を埋め込むためには、ある程 度しっかりした歯根が必要だからです。磁石式の義歯を利用するためには、早めの治 療が大切になります。
 

 

さまざまな磁石の減磁曲線
図3 さまざまな磁石の減磁曲線

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