テクノ雑学

第134回 次世代自動車用エンジンの主流 — ガソリン直噴 —

電気自動車(EV)が話題に上る機会が増えています。2009年には、三菱自動車と富士重工業が日本国内でEVの市販を開始しました。この2車は既存のエンジン車をEVに改造したものですが、2010年には日産がEV専用に設計した自動車を、日米で市販することを予定しています。今後も、多くのメーカーが後に続くことは想像に難くありません。もう、そう遠くないうちに、EVが自動車の主流になってしまうような気もしてきますが、そうはならない、という見解も少なくはありません。自動車メーカーや各種の研究機関による将来予測の中には、「2050年時点でも純粋なエンジン車はシェアの20%以上を占め、ハイブリッドを含めると70%程度の自動車がエンジンを搭載している」とするものもあります。

 先のことはわかりませんが、少なくともこの先10〜20年に限った話なら、やはりエンジンを搭載する自動車が主流であると思われます。ただし、そのエンジンは、現在のものとは少し違う、「ガソリン直噴」エンジンになっているはずです。

自動車の中核、エンジンの歴史

一般的なエンジンは、空気を吸い込み、そこに燃料を混ぜて霧化した「混合気」を、エンジン本体のシリンダー内に送り込み、圧縮してから火を着けて燃焼させます。大昔は、「気化器(キャブレター)」と呼ばれる、霧吹きのような機構で混合気を作っていました。しかし、1970年代半ば以降になると排気ガス規制や燃費向上が大きな課題となります。これに対応するには、燃料を供給する量やタイミングを緻密に制御することが求められ、キャブレターは、徐々に「電子制御式燃料噴射装置(EFI:Electric Fuel Injection)」と呼ばれる機構に置き換えられていきます。EFIは燃料に圧力をかけて噴射するノズルと、それを制御する電子ユニットから構成されるもので、燃料を噴射する量とタイミングを、自在に制御できることが特徴です。


エンジン内部でピストンが下がると、シリンダー内が負圧になって、吸気ポート内にある空気を吸い込みます。その状態でインジェクターから燃料を噴射すると、空気と混ざり合いながら霧のような状態になっていきます。これを「霧化」と呼びます。イラスト中の薄青が空気、紫が燃料で、濃い青紫が混合気を示しています。ピストンが下死点(それより下に行けない地点)に達すると、吸気バルブが閉じてシリンダーを密閉状態にします。そこからピストンが上昇していく過程で、燃料と空気はさらに混合が進みます。よく混ぜ合わさったところでピストンが上死点(それより上に行けない地点)に達すると、点火プラグに電気火花を飛ばして着火させ、燃焼行程に入ります。

 1990年代に入る頃には、ほとんどの自動車用エンジンがEFIを採用するようになりましたが、それでも「空気と燃料を混ぜてからシリンダーへ送り込む」スタイルは変わりませんでした。しかし、1993年に三菱自動車が市販した「GDI」エンジンが、その常識をくつがえします。GDIはGasoline Direct Injectionの頭文字を取ったもので、その名の通り、燃料であるガソリンをエンジンのシリンダー内部へ直接噴射する構造です。

 ただし、GDIエンジン以前にも、実はガソリン直噴エンジンは存在していました。航空機用エンジンでは、旋回時でも安定して燃料を供給できる利点から、第2次世界大戦中に採用例がありましたし、自動車用でも1954年にメルセデス・ベンツ300SLというクルマのエンジンが採用し、キャブレター仕様に比べて大幅な高出力化に成功しています。ただし、この時の燃料噴射装置は機械式で、エンジンを停止させる時、点火をカットした後にシリンダー内に噴射してしまうガソリンで潤滑用オイルが洗い流される、といった難点もあったそうです。

 三菱がGDIエンジンを開発した目的は、「希薄混合気による成層燃焼」の実現です。ガソリンの場合、理想的な燃焼が得られるのは、質量比で空気14.7に対して燃料1の割合の混合気で、この比率を理論空燃比(ストイキオメトリー)と呼びます。ストイキオメトリーより燃料が多い状態を「濃厚(リッチ)混合気」、逆に少ない状態を「希薄(リーン)混合気」と呼び、「希薄燃焼」とは、希薄混合気による燃焼でエンジンを運用することを指します。

 希薄燃焼の利点は、より少ない燃料でエンジンを運用できること、つまり、燃費の向上ですが、燃焼の安定性に難が出がちといったデメリットもあります。そこで三菱GDIは、特殊な形状のピストンによってシリンダー内にタンブル流(縦方向の渦)を作り、それによって、点火プラグに近いところほど混合比が濃くなる「層」状の混合気を形成することで、安定燃焼を実現していました。


ガソリン直噴エンジンは、吸気行程で、まず空気だけをエンジン内部に吸い込みます。三菱GDIエンジンでは、この過程でピストン頂点部の形状によって、空気は縦回りの渦(タンブル流)を形成します。ピストンが下死点に達して上昇を始めると、タンブル流は縦に押しつぶされるような形で、中央に向かって密度を高めていきます。このタイミングで燃料を噴射することで、空気と燃料は混ざり合いながら、中心部ほど燃料の濃度が高く、外側ほど薄い「層」を成していきます。ピストンが上死点に達すると、濃い層がちょうど点火プラグの近傍に位置し、全体としては非常に希薄な混合気でも、安定した着火が得られます。

 同様の希薄燃焼エンジンは他社からも登場しましたが、それらのほとんどは、2000年頃までに姿を消してしまうことになります。大きな理由は、予想していたほど燃費が向上しなかったことです。希薄燃焼エンジンでも、加速時など大きな力が必要な場合はストイキオメトリーやリッチ混合気での燃焼に切り替わるのですが、実際の走行状態では、希薄燃焼状態があまり多用できなかったのです。もうひとつ大きかったのが、窒素酸化物(NOx)の問題です。希薄燃焼状態では、燃焼行程で有害成分であるNOxが多量に生成されてしまうのです。対策として、希薄燃焼エンジンにはNOx処理用の触媒を装着しなければならず、これがコストアップ要因となってしまいます。つまり、値段が高い割に燃費改善効果はさほど大きくない、という烙印を押されてしまったのです。

高い燃費効率を追求したガソリン直噴エンジン

液体は、気化するときに周囲の熱を奪う「気化潜熱」効果があります。直噴の場合、吸気ポートや吸気バルブなど高温部に触れることなくシリンダー内に噴射されるので、気化潜熱によるシリンダー内の温度低減効果が高まります。この効果をさらに一歩進めたのが「多段噴射」です。まず、吸気行程で軽く燃料を噴射してシリンダー内を冷やし、圧縮行程でも自着火しない程度に噴射して温度上昇を抑え、ピストンが上死点近傍に来たら、燃焼用の燃料を噴射します。こうすることで、エンジン自体の圧縮比を高く設定でき、エネルギー効率を高められるのです。

 現在のガソリン直噴エンジンは、GDIとは異なる目的で設計されています。まず、無駄な燃料消費の抑制です。従来のように燃料を吸気ポート内に噴射していたのでは、霧化の過程でポート壁面に付着し、蒸発してしまいますから、燃料噴射量の緻密さを追及するにも限界があります。しかし、ガソリン直噴なら燃料はすべてシリンダー内に入りますから、厳密な制御が可能になるわけです。希薄燃焼ではなく、ストイキオメトリーでの燃焼を基本としているので、燃焼の安定性にも問題はありませんし、特殊な形状のピストンによる悪影響などの心配も無用です。

 もうひとつの狙いは、燃料の気化潜熱によって燃焼室温度の低減によって、圧縮比が高められることです。エンジンは圧縮した混合気に点火し、燃焼行程で生じる膨張圧力を利用する機械です。燃やす燃料の量が同じでも、吸い込んだ空気を強く圧縮してから燃やせば、より大きな膨張力=エネルギーが得られます。そのため、なるべく圧縮比を高くしたいのですが、ここで問題になるのが、圧縮すると温度が上昇するという、気体の特性です。混合気を圧縮しすぎると、それによって生じる温度上昇によって燃料が自着火してしまい、異常燃焼を招いてエンジンを壊してしまうといったトラブルになりかねません。ですから、通常のエンジンの圧縮比は、自着火が起きない程度に抑えられているのです。

 しかし直噴なら、吸い込むのは空気だけですから、どれだけ圧縮しても自着火は起こりません。問題は燃料を噴射して空気に混ぜ込む段階ですが、ここで燃料の気化潜熱が作用し、混合気の温度を大きく低減してくれるのです。特に、吸気行程の後半で燃料を噴射すると、ガソリンの気化熱によって吸気を直接冷やすことができ、ストイキオメトリーのガソリンで計算すると、混合気の温度が24度も低下します。これは混合気の体積が8%減る、つまり吸い込む空気の量を8%増やせることを意味しますから、その分だけ多くの燃料を燃やせることになります。さらに圧縮行程の終盤で噴射すれば、混合気温度は55度も低下する計算になり、圧縮比を2高めるのと同じ効果を生みます。言葉を換えれば、自然給気エンジンでは圧縮比を2高められ、過給エンジンでは異常燃焼防止のための圧縮比低減が不要となるので、いずれもエンジン出力を高められるのです。特に過給との相性が良好な点から、ダウンサイジングの推進に大きく貢献できます。

 そしてもうひとつのメリットが、多段噴射が可能になることです。従来のエンジンでは、混合気は吸気行程で吸入される分の1回しかシリンダー内に押し込めませんでした。しかし直噴なら、1燃焼あたりで複数回の燃料噴射が可能です。吸気行程でまず一度、少量の燃料を噴射してシリンダー内部の温度を下げておき、圧縮行程でも温度上昇を抑制するために軽く噴射、そして上死点直前で燃焼用の燃料を噴射……といった制御を行うことで、より大きな温度低減効果を実現でき、さらに効率を高められます。

 ガソリン直噴エンジンは、すでに欧州車を中心として実用化が進んでいます。国産勢も、次世代エンジンでは続々と採用してくることでしょう。クリーンな地球環境と生活の利便性を両立させるため、ハイブリッドなどの技術とともに、発展していってもらいたいものです。


著者プロフィール:松田勇治(マツダユウジ)
1964年東京都出身。青山学院大学法学部卒業。在学中よりフリーランスライター/エディターとして活動。
卒業後、雑誌編集部勤務を経て独立。
現在はMotorFan illustrated誌、日経トレンディネットなどに執筆。
著書/共著書/編集協力書
「手にとるようにWindows用語がわかる本」「手にとるようにパソコン用語がわかる本 2004年版」(かんき出版)
「記録型DVD完全マスター2003」「買う!録る!楽しむ!HDD&DVDレコーダー」「PC自作の鉄則!2005」(日経BP社)
「図解雑学・量子コンピュータ」「最新!自動車エンジン技術がわかる本」(ナツメ社)など

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