テクノ雑学
第118回 隠れ上手、危険に敏感、柔和なエアバッグ
自動車の安全装備は、ここ10年ほどの間で目覚しい進歩を遂げてきました。安全装備を大別すると、危険な状況を回避するための「能動的安全性」に関わる装備と、事故が避けられなくなってしまった際にダメージを軽減するための「受動的安全性」に関わる装備があります。
今回は、受動的安全性に関わる装備の中で最もベーシックなものである、エアバッグについて説明します。
衝突を緩和する乗員の保護者
エアバッグとは、その名の通り、内部に空気を満たした布製のバッグです。普段は折りたたんで内装の裏側に格納してありますが、クルマが外部から大きな衝撃を受けると、それを感知して車内側へ瞬時にふくらむことで、乗員を保護します。この動作を「展開」と呼んでいます。
クルマを運転していて、ガードレールに衝突した事故のことを考えてみましょう。このとき、ガードレールからクルマに対して「動いているクルマを止めようとする力」がはたらき、逆にガードレールにはクルマから「動かそうとする力」がはたらいている状態、と考えることができます。もっと簡単に表現すると、クルマはガードレールによって急減速させられ、ガードレールはクルマによって急加速させようとされた状態、ということになります。どちらも“急”である分だけ、時間あたりの運動エネルギーを示す加速度は大きなものになります。
ここで重要なのは、ガードレールからの力はクルマに働きかけるのであって、車体の中にいる乗員に直接は働きかけない、ということです。つまり、クルマはガードレールによって急減速させられても、乗員は慣性によってそのまま動き続けようとしますから、停止しようとしている車体のどこかにぶつかってしまうことになります。
このときの乗員と車体の関係は、さきほどのクルマとガードレールと同じです。乗員がクルマを動かそうとし、クルマが乗員を止めようとする力関係になるわけですが、クルマのほうがはるかに質量が大きいので、乗員の身体は車体によって静止させられることになります。このときの減速度(マイナスの加速度)と、車体の硬度に応じて、乗員の身体はダメージを受けることになってしまいます。
また、衝突時は車体が変形しますから、その力によってウインドウのガラスが破損したり、車体との接着面がもろくなって外れやすくなりがちです。そこに乗員の身体が当たることでガラスが外れてしまい、乗員が車外に放出されてしまうこともあります。
そんな場合に、車内で展開することで乗員と車体の間に干渉し、乗員の身体が受ける衝撃を緩和するための装置がエアバッグです。
最初は運転者を保護するため、運転席前方のステアリングホイール内部に装着されましたが、現在ではほとんどのクルマで助手席用も標準装備されています。また、昨今では前席、後席ともに側方保護用の「カーテンエアバッグ」もポピュラーな装備となりつつあります。さらに後方保護用のものや、クルマの乗員ではなく、対歩行者との事故の場合に歩行者を保護するためのエアバッグも研究されています。
■ 考案時から今もなお引き継がれる画期的な構成要素
エアバッグの考案者は、日本の小堀保三郎氏です。航空機事故などの衝撃を緩和させ、生存率を高める装置として1963年に考案されました。その後、イートン社が1967年に自動車用乗員保護装置への応用を考案し、1973年にアメリカのGMがオプションとして初採用しました。日本で最初に採用した車種は、1985年のホンダ・レジェンドです。
エアバッグを構成する要素は、バッグ、インフレーター(ガス発生装置)を含む展開装置、センサ、制御ユニットです。
バッグは布製の袋で、表面に皮膚の擦過傷を軽減する処理がほどこされています。インフレーターは、簡単に言うとピストルのような構造で、火薬を燃焼させることで生じるガスの膨張圧力によって瞬時にバッグを膨らませます。
順を追って動作を説明すると、
- センサが衝撃を感知
- 制御ユニットがインフレーターに信号を送る
- インフレーターが火薬に着火
- ガスの燃焼圧力によってバッグが展開、0.03秒後には最大容量まで膨らむ
- 乗員を受けとめ、エネルギーを吸収
- ガスを排気し、バッグが収縮
となり、衝突から収縮までは、約0.2秒以内で完了します。ちなみに展開のための仕組みは、歩行者保護用の「ポップアップエンジンフード」などにも応用されています。
エアバッグを素早く、正確に展開させるためのノウハウは、バッグの折りたたみ方、展開口に対してどのように格納するか、といった点になります。最新のバッグでは、内部に渦巻状の縫い目をほどこすことで、少ない容量のガスでもバッグの内圧を効果的に高め、より早い段階で保護機能を実現したり、ガスを排出する時間をコントロールすることで、乗員がぶつかった時のダメージを最小限にする試みが盛り込まれています。
上のイラストは、比較的初期の運転席用エアバッグのハードウェア構成ですが、現在のものも基本構成は大きく変わりません。ただし、センサと制御ユニットの高機能化によって、最新のシステムでは「プリクラッシュセーフティ機構」と連動しています。この場合、「ぶつかってから展開する」のではなく、「ぶつかるまでの時間を予測し、シートベルト等と連携しながら、最適タイミングで展開」できることで、乗員のダメージを最小限に抑える効能を発揮します。
■ エアバッグに対する誤解
エアバッグは、作動させた経験のない人のほうが圧倒的に多いと思われます。しかし、そのせいか、さまざまな誤解が横行しているように思えます。正しく使わないと効果が発揮されないので、この機会に正しい知識を身につけておいてください。
エアバッグは、あくまで「補助拘束装置」である
現在のエアバッグは、正式名称を「SRSエアバッグ」としています。SRSは Supplemental Restraint System の頭文字で、「補助拘束装置」の意味です。何に対する補助なのかといえば、主拘束装置であるシートとシートベルトです。
ごく初期のエアバッグは、シートベルトなしでも乗員の負傷を防ぐものとして構想されていました。しかし、さまざまな事故パターンに対してエアバッグだけでは対応しきれないことが判明し、現在は補助拘束装置とされています。つまり、主拘束装置であるシートベルトをしていないと、所定の効能が発揮されません。これは後席であっても同様です。
エアバッグは硬く、対応可能な荷重には制限がある
「エアのバッグ」なのでふんわりと軟らかいものであるように思われがちですが、最大容量まで展開したエアバッグはかなり硬いものです。あくまでSRSであり、シートベルトではカバーしきれないダメージを「軽減」するための装置ですから、展開時には軽微なケガを負うことがあります。また、乗員の体重や衝突時の速度によっては、能力的に対応しきれない場合もあります。
正しい姿勢で座っていないと効果がない
安全装備は、いかなる状態でも乗員を保護できるものではありません。実際の衝突試験の際も、人体への衝撃を計測するダミー人形は、そのクルマの「ニュートラルポジション」で座っています。シートバックを大きくリクライニングさせたりして、ニュートラルポジションから大きく外れるような着座姿勢では、シートベルトもエアバッグもまったく効果を発揮できません。「正しい着座姿勢」については、車種によっても異なりますが、少なくとも、腰椎がシートバックから離れていたり、上体が大きく後傾しているような座り方は正しくないと考えてください。
安全装備は日進月歩の進化を遂げています。昨今は能動的安全性を高める機構も充実してきました。しかし、クルマが人間の操作で動くものである限り、操作ミスや認知・判断の誤りによる事故を根絶することは難しいでしょう。
交通事故は、自分がどれだけ注意していても、起こるときには起きてしまいます。車に乗るときは、常に正しい姿勢で座り、正しくシートベルトを装着する習慣を付けていただきたく思います。それができて、はじめてエアバッグはその機能を発揮できるのですから。
著者プロフィール:松田勇治(マツダユウジ)
1964年東京都出身。青山学院大学法学部卒業。在学中よりフリーランスライター/エディターとして活動。
卒業後、雑誌編集部勤務を経て独立。
現在はMotorFan illustrated誌、日経トレンディネットなどに執筆。
著書/共著書/編集協力書
「手にとるようにWindows用語がわかる本」「手にとるようにパソコン用語がわかる本 2004年版」(かんき出版)
「記録型DVD完全マスター2003」「買う!録る!楽しむ!HDD&DVDレコーダー」「PC自作の鉄則!2005」(日経BP社)
「図解雑学・量子コンピュータ」(ナツメ社)など
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