テクノ雑学
第88回 新時代のエネルギーソース -「水素」エネルギーの実用化に向けて-
持続可能な循環型社会の実現に向け、新しいエネルギーソースとして期待されているもののひとつに「水素」があります。今回は、その水素を燃料として用いることを目的に研究が進められている自動車と、その周辺事情についてまとめてみたいと思います。
水素とは?
水素(hydrogen)は、原子番号1、元素記号では「H」で表される元素です。最も軽く、また宇宙で最も多く存在する元素で、質量比では宇宙全体の55%、総量数では全原子の90%以上を占めるといわれ、ヨーロッパ南天天文台の大型望遠鏡による観測によって、現在から123億年前にはすでに存在していたことがわかっています。
公式な発見者とされているのはイギリスのキャベンディッシュで、時は1766年。ご存知のとおり、水(H2O)は水素と酸素の結合による化合物であることから、1783年にはフランスのラヴォアジエが、ギリシア語の「水」と「発生」を合わせて「hydroge`ne」と命名、その英語訳であるhydrogenが世界共通の呼称になりました。
■ 水素エンジン自動車
エネルギーソースとして期待されているのは、水素ガス(H2)の状態のものです。水素ガスは常温・常圧下では無色無臭で、非常に軽く、燃えやすい気体です。その軽さを活かして飛行船の浮揚ガスなどに用いられていましたが、1937年にアメリカのニュージャージー州で起きた「ヒンデンブルグ号」爆発事故によって、危険性が認識されることになります。
水素を燃料とする動力装置を搭載した自動車は、エネルギーの取り出し方によって大きく2種類に分類できます。ひとつは、水素を直接、文字通りの“燃料”として内燃機関で燃やしてしまう「水素エンジン」車です。日本では1970年代から武蔵工業大学などで研究が重ねられ、折々に走行実験などが行われてきました。
水素エンジン車の最大のメリットは、エンジン本体を現状のガソリン用からほとんど変更せずに使えることです。一般的なガソリンエンジンとの違いは、燃料を空気と混合してからエンジンのシリンダー内部に送り込むのではなく、直接シリンダー内部に噴射する「ダイレクト・インジェクション」方式が主流になりそうなこと程度で、それもすでに通常のエンジンで実用化されています。あとは潤滑系や各部のシール剤など、細部の変更で対応できるため、エンジンそのものの開発コストだけでなく、生産設備などに要するコストも安上がりで済みます。
このタイプの水素エンジン車は、すでにBMWが「Hydrogen 7」、マツダが「RX-8 Hydrogen RE」として市販(リース販売)を開始しています。ただし、後述する水素の弱点「エネルギー密度」の低さと、水素供給設備の少なさによる航続距離の短さを補うため、水素だけではなく、ガソリンを燃料としても走れる「バイフューエル」仕様となっています。
昨今では単純なエンジン車ではないタイプも登場しています。2007年の第40回東京モーターショーにマツダが出展した「プレマシー・ハイドロジェンREハイブリッド」では、水素(もしくはガソリン)でロータリーエンジンを作動させますが、その出力は直接駆動に使われることなく、ジェネレータを駆動して発電し、そこで得られた電力によってモータを駆動する、シリーズ・ハイブリッド機構を採用しています。
また、水素エネルギー開発研究所は2006年、水素エンジンが燃焼によって発生する熱で水を水蒸気にし、その力も走行に利用するHAW(Hydrogen.Air.Water)システムを発表、公道上での試験走行を行っています。
■ 燃料電池自動車
水素を燃料とする、もうひとつの自動車のカタチが「燃料電池車」です。燃料電池については以前にもテクマグで解説していますが、簡単におさらいしておきましょう。
燃料電池とは、「水の電気分解」の逆の行程をたどることで、水素を燃料として発電するデバイスです。水の電気分解は、比較的手軽に実験することができます。用意するものは電解質(水酸化ナトリウムなど)を加えた水、電極(炭素、白金など)、試験管、電池、豆電球程度でOKです。
電解液に電極を漬け、電線に電池をつなぐと、電池のマイナス側から流れ出した電子が電解液と反応して、マイナス極に水素と水酸化イオン(OH-)が発生します。水素が発生していることを確認するため、いったんマイナス側の試験管を外して火を近づけてみると、「ジュッ!」といった音とともに燃え上がる様子が観察できるはずです。
このとき、プラス側では水と酸素と電子が発生します。発生した電子はプラス極から電線を通り、電池のマイナス極へ流れます。
下の式はこの電気分解の様子を表す反応式です。左右の辺の同じものが消え、水から水素と酸素が発生します。
電池を外し、替わりに豆電球を電線に付けてみましょう。するとプラス極では水と酸素が反応し、発生した電子が電解液中を移動してマイナス極で水素と水酸化イオンを反応させることで、豆電球が点くのです。
※この例は「アルカリ形」と呼ばれる燃料電池の仕組み。発電原理です。自動車用などに用いられることが多い「固体高分子形」の燃料電池では、水酸化イオンの代わりに水素イオン(H+)が電極間を移動します。
このようにして、燃料電池で発生した電力によってモータを駆動して走行するのが、燃料電池自動車、というわけです。
■ 水素燃料の課題 −どうやってつくる?−
これらの水素燃料自動車の実用化に向けた課題は、大きくふたつがあげられます。
最大の問題は、水素をどうやって作るのか? です。水素が宇宙のどこにでも、豊富に存在する元素であることは確かなのですが、地球上では純粋な水素ガスとしては存在しないに等しく、水や天然ガス、有機化合物などの構成要素となっているだけです。つまり、そこから水素を取り出すための仕組みと、それに要するエネルギーが必要になります。
「水の電気分解と同様の行程で精製できる」と聞くと、なにやら無尽蔵に取り出せるものであるかのように錯覚しがちですが、ではその電気はどうやって作る? というのが、解決すべき大きな課題です。水素は水の電気分解以外にも、たとえば天然ガスやバイオ資源など、さまざまなソースから生成でき、その面での期待も大きいのですが、いずれにしても生成の過程でなんらかのエネルギーを必要とします。つまり、地球上において水素は「エネルギーを消費しなければ作れないエネルギー」であることを、まずは認識しておく必要があります。
現時点では、電気を水素精製のために使うのではなく、直接エネルギーとして走るほうが効率が高いことは明白です。EV(電気自動車)が復権している理由はそこにあります。
■ 水素燃料の課題 −どうやって貯める?−
次に、水素の貯蔵方法です。常温・常圧下の水素は、体積あたりの熱量をあらわす「エネルギー密度」が小さく、自動車の燃料タンクにそのまま充填しただけでは、ほんのわずかな距離しか走行できません。エネルギー密度を高めるためには、圧縮、もしくは液化して車両に搭載することが必須です。しかし、圧縮はもとより、水素を液化させるためには-253度という極低温まで冷やさなければならず、そのために用いるエネルギーも無視できないレベルになってしまうのがネックです。
圧縮や冷却に関する問題が解決したとして、今度は「いかに留めておくか」が問題になります。水素分子は非常に軽く、小さいため、貯蔵タンクを構成する物質の分子間をすり抜けて発散していくことが避けられません。
一時期、「水素吸蔵合金」を用いた燃料タンクに期待が集まったこともありましたが、重量あたりで吸蔵できる水素の量がそう多くはないことから、最近の研究の主流はマイクロナノカーボンによる吸蔵に移っています。
燃料電池車では、天然ガスなどを車両に搭載し、「改質」によって水素を生成しながら走行する仕組みも考案されましたが、重量あたりのエネルギー効率などの点で問題が多く、昨今ではほとんど採用例が見当たりません。
■ 新時代のエネルギーに向けて
現在の文明社会は、化石/液体燃料の安定供給を前提として成立してきたものです。そこからシフトし、水素モビリティ社会を実現するためには、供給/貯蔵インフラも含めて、生活のために使うエネルギーのあり方をトータルで考え直すことが必要なのかもしれません。
それに向けた提案も各種存在します。たとえばホンダは、燃料電池車の開発とともに、水素を比較的容易に、かつ安定して供給するシステムの研究成果である「ホーム・エネルギー・ステーション」の実験稼動を開始しました。天然ガス改質や太陽光発電システムを組み合わせることで、水素を生成すると同時に、家庭用電力や給湯、冷暖房に要するエネルギーも一貫してまかなってしまおうという発想のシステムです。
人類と文明社会が存続するためには、エネルギーソースの多様化が必要不可欠です。また、考えうる限り広い分野にわたって研究・開発を行う必要があります。現時点ではまだ、実用に向けての課題が多い水素エネルギーですが、実用化に向けたさまざまなトライを見守っていきたいと思います。
著者プロフィール:松田勇治(マツダユウジ)
1964年東京都出身。青山学院大学法学部卒業。在学中よりフリーランスライター/エディターとして活動。
卒業後、雑誌編集部勤務を経て独立。
現在はMotorFan illustrated誌、日経トレンディネットなどに執筆。
著書/共著書/編集協力書
「手にとるようにWindows用語がわかる本」「手にとるようにパソコン用語がわかる本 2004年版」(かんき出版)
「記録型DVD完全マスター2003」「買う!録る!楽しむ!HDD&DVDレコーダー」「PC自作の鉄則!2005」(日経BP社)
「図解雑学・量子コンピュータ」(ナツメ社)など
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