じしゃく忍法帳
第122回 「放射線療法と磁石」の巻
宇宙開発や重粒子線がん治療装置にも磁石が活躍
惑星探査機“はやぶさ”に搭載されたイオンエンジン
ひらがなの“はやぶさ”といえば、2003年5月9日に打ち上げられた宇宙航空研究開発機構(JAXA)の小惑星探査機MUSES-Cにつけられた愛称。2年あまりの惑星間飛行を続けたのち、2005年9月には小惑星“イトカワ”(日本のロケット開発の父・糸川英夫にちなんで命名)に到達しました。イトカワは大きさ540×270×210m。ひしゃげたメークインポテトのような形の小惑星です。2005年12月には小惑星表面の物質をサンプル採取するという世界初の試みにもチャレンジしました。
“はやぶさ”には惑星間航行用に新開発されたイオンエンジンが搭載されました。火薬や水素などの燃料を燃やして推力を得るロケットを化学ロケットといい、それ以外の方式のロケットを非化学ロケットと総称します。イオンエンジンは非化学ロケットである電気ロケットの1種。電気や磁気により推進剤をイオン化し、電気的にイオンを加速・噴射することで推力を得ます。イオンエンジンの推力は化学ロケットとくらべて小さいので、地球の重力圏から脱出するための打ち上げロケットなどには用いることはできません。
しかし、イオンエンジンの持ち味は比推力が大きいことにあります。比推力というのは簡単にいえばロケットエンジンの燃費のようなもの。つまりイオンエンジンは燃費にきわめてすぐれているため、比較的少量の推進剤で長期間の宇宙航行を可能にするのです。
磁石とマイクロ波によるECR(電子サイクロトロン共鳴)
“はやぶさ”に搭載されたイオンエンジンは、マイクロ波放電式イオンエンジンと呼ばれるタイプです。空間を運動する電子は電流と同じものとみなすことができます(ただし電子の運動方向は電流の向きと逆)。このため、磁界方向に垂直に運動する電子には、フレミングの左手の法則により、磁界方向と電子の運動方向の双方に垂直な方向にローレンツ力が加わります。一様な磁界の中で運動する電子には、このローレンツ力がたえず作用します。またこのため、電子は回転運動を続け、一様な磁界に対して斜めに進入する電子は、磁力線に巻きつくようならせん運動をします。これをサイクロトロン運動といいます(サイクロトロンとは電磁石の磁界と高周波電場によってイオンを渦巻き状に加速していく加速器のこと)。
サイクロトロン運動する電子に対して、回転周期と同じ周波数のマイクロ波を加えると、電子はマイクロ波の電界によりエネルギーを得て加熱され、ついには共鳴を起こしてエネルギーが飛躍的に増大します。この現象をECR(電子サイクロトロン共鳴)といいます。
マイクロ波放電式イオンエンジンは、このECR現象によって、マイクロ波のエネルギーを電子の運動エネルギーに変換する方式です。イオンエンジンの推進剤としてはキセノンなどが用いられ、電子は種火のような役割をします。 ECRによって加熱された電子が推進剤であるキセノン原子に頻繁に衝突すると、キセノン原子はイオン化し、高密度のプラズマが生成されます。キセノンイオンは正の電荷をもつため、エンジン後部に負電荷の加速グリッドを設けると、電気的な力によって引きつけられ高速で噴出します。マイクロ波放電式イオンエンジンは、このときの反動を推力として利用します。
しかし、正電荷のキセノンイオンを噴出し続けると、エンジン全体はどんどん負に帯電してしまいます。そこで噴射口後方に中和器を設け、そこから負電荷の電子を放出してキセノンイオンおよびエンジン全体を電気的に中和しながら推進するしくみになっています。
図1 永久磁石を利用したマイクロ波イオンエンジン
がん細胞から電子を引き出して死滅させる重粒子線
ロケットの打ち上げに失敗すると、巨額を費やして開発した衛星も、一瞬のうちに失われてしまいます。打ち上げに成功しても、衛星自体が故障すれば同じことです。そこで近年は、従来の大型衛星にかわり開発費も打ち上げコストも比較的少額ですむ小型衛星が注目されるようになってきました。小型化・軽量化が容易なマイクロ波放電式イオンエンジンは、重量が10kgを切るような小型衛星の軌道修正用エンジンとしても最適なのです。
マイクロ波放電式イオンエンジンと同じ仕組みのイオン発生装置は、がんなどの悪性腫瘍を治療する放射線療法にも利用されています。
放射線療法とは放射線の高いエネルギーによって、がん細胞を死滅させ、病巣の成長・増殖を阻止する治療法です。従来、放射線としてはX線やガンマ線、電子線、プロトン(陽子)粒子線などが用いられてきましたが、近年はプロトンよりも質量の大きい炭素、ネオン、アルゴンなどの荷電粒子線が使われはじめています。これらを重粒子線といいます。
正の電荷をもつ重粒子イオンを高速のイオンビームにして、がん病巣に狙いを絞って照射するのが、重粒子線がん治療装置です。その治療効果は重粒子イオンの電離作用によるものです。重粒子線は正の電荷をもつため、がん病巣に命中すると、がん細胞から負の電荷をもつ電子を引きずり出し、がん細胞を死滅させます。重粒子は質量が大きいため、X線などとくらべてがん細胞に対するアタック能力は数倍も大きいのです。
しかし、重粒子線はX線のように人体を容易に透過することができません。重粒子線を人体深部の病巣まで到達させるには、重粒子イオンに線形加速器やシンクロトロンによってエネルギーを与えて高速のビームにする必要があります。
希土類磁石によってコンパクト化したECRイオン源
重粒子線がん治療装置はさまざまな装置の組み合わせからなる巨大な施設です。高速の重粒子ビームをつくるためには、まず重粒子の多価イオンを発生させねばなりません。この装置をイオン発生源といいます。図2下に示すのは、惑星探査機などに搭載されるマイクロ波放電式イオンエンジンと同様に、永久磁石を利用したECR(電子サイクロトロン共鳴)方式のイオン発生源です。
永久磁石の磁力線に巻きつくようにらせん運動する電子は、導波管から送られたマイクロ波の電界と作用します。このときマイクロ波の周波数をらせん運動の周期と合わせると、ECR現象によって電子は高いエネルギー状態になり、パイプから供給される原子(炭素やアルゴン、ネオンなど)と衝突して、原子から電子をはぎとり重粒子イオンと電子の高温ミックス状態であるプラズマをつくります。これがECRイオン源の基本原理です。
イオンエンジンとちがうのは、重粒子イオンを高速に加速する加速器と合体させているところです。イオン源で発生させた正の電荷をもつ重粒子イオンは、負電荷のグリッドによって引き出され、まず前段の線形加速器に送られます。線形加速器によって助走をつけた重粒子イオンは、さらに主加速器であるシンクロトロンに送られ、そこで数十万回もの回転を繰り返しながら、高速に加速されます。こうして加速された重粒子ビームを治療室まで導いて、患者のがん病巣に照射するのです。
重粒子ビームを用いた放射線治療の特長は、手術が困難な人体深部にまでビームが到達することと、最大の効果を発揮するように目標深度を調整できることです。イオン発生装置に強力な希土類磁石を用いることにより、電磁石とくらべて装置のコンパクト化が図れるようになりました。医療の最先端分野でも磁石は大活躍しています。
図2 重粒子線がん治療装置とECRイオン源の基本構造
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