VOL.03
TDKの技術と生活工学のコラボレーション
人々の生活を豊かにする技術を社会に実装する
お茶の水女子大とTDKによる「成長し続ける」共同研究とは…
お茶の水女子大学では、人間・環境科学科の太田裕治教授の下、TDKと共同研究を実施しています。太田先生は「人々の生活の中に科学技術をどう応用するかを考える研究」を行っており、この中で「TDKの技術」がどのように生かせるかを模索しているのです。
今回は、太田先生をはじめとする共同研究に携わっている教員や学生、さらにはTDKの関係スタッフに取材を行い、共同研究の具体的な内容や魅力に迫ります。
PROFILE
太田 裕治 副学長(左)
お茶の水女子大学 教授。
1987年、東京大学大学院工学系研究科 博士前期課程修了。1992年、博士(工学)東京大学工学部助教授、東洋大学工学部助教授を経て、2001年にお茶の水女子大学助教授に就任。2011年1月教授、2021年4月より現職。
長澤 夏子 准教授(中)
お茶の水女子大学 生活科学部人間・環境科学科准教授。
2007年、早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻大学院 博士課程修了。早稲田大学理工学総合研究センター、同大理工学総合研究所等を経て、2015年より現職。2020年2月より、東北大学准教授も兼任。
雨宮 敏子 助教(右)
お茶の水女子大学 生活科学部人間・環境科学科助教。
2014年、お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科 ライフサイエンス専攻人間・環境科学領域 博士後期課程修了。2020年4月より現職。
複数の視点で共同研究を進める
まずは共同研究の内容について伺いたいと思います。
太田先生TDKとは、「TDKのセンサを用いて社会に実装できるデバイスを作り、社会課題の解決を図る」というスキームで共同研究を行っています。本研究には、私をはじめ本学生活科学部人間・環境科学科の長澤夏子准教授、雨宮敏子助教も携わっており、複数の視点・アイデアを用いてパラレルで研究を進めています。
長澤先生本学の生活工学共同専攻ではLIDEE(Life Innovation by Design & Engineering Education)という、生活に新たな価値を創造するイノベーション教育プログラムを行っています。例えば、企業や専門家の方を呼んで講演会やワークショップを行うなど、学生が刺激を受けて新しい手法を発見するプログラムを実施しています。
LIDEEでは、TDKと共同でどのようなことを実施したのでしょうか?
長澤先生TDKとは共同で授業や研究を行っています。最初は「におい」をテーマにしたプログラムで、消臭を専門とする雨宮先生と共に、においのメモリーカプセルを作る、データベースを作るなど、においの状況を再現するなど未来型の研究を行いました。
雨宮先生私自身もセンサを使って何かを調べるという研究とは無縁だったので、今回の共同研究に参加できたことは勉強になっています。
長澤先生他には授業の作成・提供や会社見学などさまざまな交流を行いました。TDKの技術者と学生が共にアイデアを出し合いながらの作業となり、学生がエンジニアという自身の将来像をイメージできた貴重な経験でした。
太田先生TDKのテクニカルセンターも学生と訪れましたね。普段見られない施設を見たり、最新の研究開発を紹介してもらったり、大学としてもエンジニアリングに携わる実例に触れることができたいい機会でした。
現在はどのような研究を行っているのでしょうか?
長澤先生現在行っている研究のひとつに、「TDKのセンサを搭載した電子基板ユニットにプログラムを施す」というものがあります。センサをただ組み上げるだけでなく、生活の中で「こんなものがあれば便利だよね」という、新しい考えを生み出すのも目的です。機器の提供だけでなく、プログラムの組み方をTDKの工房で学ぶなど、新しい切り口を創造することにもつながっています。
人の生活から技術を開発する
太田教授の研究
共同研究が行われるようになった経緯を教えてください。
TDK 飯塚私と当時の篠原紘一技術顧問が、JST(国立研究開発法人科学技術振興機構)の技術説明会で、太田先生と長澤先生の共同発表を知ったのがきっかけです。センサで足の重心の移動を研究されている件や、日常生活の行動に関する技術について説明されていました。当時はさまざまな観点での価値観を探していたころで、太田先生らの取り組みを魅力的に感じ、お声掛けをしました。
TDKの技術者から見た先生の研究の魅力を教えて下さい。
TDK 花房太田先生の研究室にお邪魔した際、加速度センサを犬の尻尾に装着して、尻尾の揺れで感情をセンシングしながら何かできると面白いという話が出ました。こうした日常生活のちょっとしたシーンも研究の対象になり得るのが、先生の研究の面白さだと思います。太田先生の場合は、ただアイデアを出すだけでなく、どのようなシーズが必要かまで意見がもらえるのもありがたいですね。
TDK 小野松技術者はつい世界最高、世界最先端といった方向で考えてしまいます。しかし、太田先生との会話の中で「技術が人に優しくない方向に向かっている場合もある」という話が出た際、ぐっと現実に引き戻されたように感じました。技術者にとっては、それだけ衝撃を受ける研究です。
太田先生は、TDKからの提案をどのように感じましたか?
太田先生私たちの研究は「ニーズ側」からの掘り下げを行う研究です。そのため、TDK側から「シーズ」(メーカーの持つ技術)を提供してもらえるのは大きなメリットです。特に、我々の研究を理解し、ニーズに合致するものが得られるのは我々にとって夢のような世界でしたので、非常にありがたいと思いました。
イマジネーションを膨らませて
自ら道を切り開く
共同研究には学生も多く携わっているそうですが、実際に学生の皆さんはどのような研究を行っているのでしょうか?
太田先生先ほどもお話したように、複数のアイデアをパラレルで進めています。例えば4年(取材時)の小嶋柚希さんは、TDKのセンサを体に装着して、高齢者の動きを研究しています。これは本人に説明してもらった方がいいですね。
小嶋さんお願いします。
小嶋さん私は自分でプログラムしたTDKのセンサを使って、高齢者の「歩行安定性」を測定する研究に取り組みました。現状、転びそうかどうかは、人が「見た目」で判断するしかありません。しかし、歩行データを取得することで、お年寄りの転倒リスクを可視化でき、対策を取ることができると考えています。
用いているセンサユニットは共同研究グループで「Candy-P2」との愛称で呼んでいる500円玉ほどの大きさのもので、医療用のバンドに装着しています。これを足首に巻き付け、足首の振れから歩行リズムを計測し、歩行が安定しているか不安定な状態なのかを調べます。
歩行訓練のときに腕にも足にもセンサを装着するとなれば負担になると思い、今回の研究では計測機器を片方の足首だけという形で進めました。ただ、残念ながらコロナの影響で実際に高齢者施設で実験することはできませんでした。まだまだ手法を研究している段階なので、今後は実際に現場で使ってもらい、フィードバックを基に改良していきたいと思います。
研究の面白かった点を教えてください。
小嶋さん「センサを使ってお年寄りの転倒リスクを調べる」という研究は前例が少なく、参考になるような情報やデータがあまり見つかりませんでした。そんな中で研究を進めるのは大変でした。それでも、「こうすればこうなるかも」「どのようにすれば思ったように計測できるのか」など、イマジネーションを膨らませるのは楽しかったです。思い通りの結果になるとうれしかったです。
センサは自分でプログラムをする必要がありましたが、プログラムのコードを見て、ここでセンサとの接続を確認している、ここで加速度のデータを取得していると、ひとつひとつ学びながら理想の形に進む経験も貴重でした。「考える力」が養えたのではと思っています。
共同研究と共に進化する
TDKのセンサ
TDKサイドでは、小嶋さんの研究をどのように評価されていますか?
TDK 飯塚小嶋さんが我々のデバイスを使って研究を行ってくれたことで、新しい気付きや今後の可能性を見い出せました。例えば、センサを両足に装着して計測した場合はどうなるのか、両手両足ではどのようなデータが取得できるのかと、今後の課題や取り組みも広がりそうですね。「社会課題を技術で解決し、住みやすい社会を作る」のが目的ではあるものの、そこに行きつく課程やアイデアは無数にあることを再認識できました。
小嶋さんありがとうございます。今回の研究では加速度のセンサしか用いていませんが、例えば別の計測方法を用いることで利用の幅も広がり、付加価値も生み出せるのではと思います。また、足腰が弱い方はすり足気味で歩くため、データが測定しやすいようセンサを足に装着しましたが、腰に装着した場合はどうなるかなども考えています。今後は、多用途での使用も踏まえた研究もしたいです。
TDK 花房学生さんに評価してもらっているセンサユニットは、加速度、3軸の回転方向、温度、照度、気圧といった5つの項目が計測できるものです。今後提供予定のセンサは、3軸の磁力センサ、湿度、マイク、時計リアルタイムクロック(いつ取得したデータなのかが分かる)と、さらに4つの機能を盛り込む予定です。学生さんには、こうしたさまざまなデータが計測できるセンサを用いて、社会課題を解決する方法と共に、製品の評価もしてもらいたいです。「これは使いにくい」といった意見も期待しています。
TDK 小野松技術者は「いいデバイスさえ作ればそれでいいだろう」と妄信しがちですが、共同研究の中で実際に使う人の状況を改めて知りました。新しい活用方法を見つけるのはハードルは高いがチャレンジのしがいがあると思います。これまでに見つかっていない新しいニーズを切り開いてもらいたいですね。
指導する太田先生は小嶋先生の研究をどう評価されていますか?
太田先生実際に施設で歩き方のデータを取得し、データを介護士の方がどのように活用できるかまで見たかったですね。完成した段階で緊急事態宣言となり、施設でのテストができなかったのが残念です。こうした実地でのテストは、技術と現場が求めているものの整合性を確認し、さらに精度を高めるためにも重要です。今後は、この研究を通して、暮らし方を良くするための技術について、考察をさらに深めてもらいたいと思います。
「生活が先」という視点での
研究
共同研究の魅力はどんなことでしょうか?
TDK 栗原一般的な産学連携はシーズがメインで、先端技術について共同研究する場合が多いです。しかし、今回はどうすれば生活が豊かになるのかという、技術ではなく「生活が先」の視点で、暮らしを豊かにしようと考えています。これは、我々企業が持つ考えや視点とも異なります。異なる視点を持つもの同士が共に研究するのは、大きなメリットがあると感じています。
太田先生私たちはハードウエアの知見はありますが、どちらかといえばニーズ寄りです。一方、TDKさんはやはりハードウエアが強みです。両者が組むことで技術が社会に出ていく流れがスムーズになるのではと考えています。今まではシーズに寄った形で技術を社会に出そうという取り組みが多く、それではどうしても流れが滞ってしまいがちでした。ニーズとシーズがうまくマッチし、技術がより良い形で社会に実装されていくことを期待しています。
複数の研究室が参加しているのも特徴ですね。
TDK 飯塚これまでの共同研究は、特定の研究室と1対1で行うものが多かったのではないでしょうか。しかし、今回は太田先生だけでなく、介護の専門家の方や、同じお茶の水女子大で建築という側面で生活を研究している長澤先生、においの専門家である雨宮先生など、複数の視点で共同研究ができています。高齢化が進む中で、太田先生の研究は企業へのブリッジも期待できます。そこにTDKが参加させてもらうことでより幅広い研究が行えるようになるのではと思います。
雨宮先生そもそも私は研究分野が違うのですが、研究分野という枠組みを超えて人や生活という切り口で物事を考えるのは新鮮です。ここに企業が加わることで、できることや可能性が一気に広がります。「こうした切り口の共同研究があるのだ」と、楽しみながら研究ができています。
共に成長していく他に
例のない共同研究
この共同研究の「他とは違う点」は何でしょうか?
TDK 栗原共同研究に携わってきて実感しているのは「成長性」ですね。例えば、先ほどの小嶋さんの研究もいきなり誕生したのではなく、においの研究などいくつもの前段階があって行きついたものです。
例えば、センサユニットの「Candy-P2」は二代目で、初代は「DiamondSeeds」という複数のセンサを搭載したダイヤの形をしたデバイスでした。簡単なプログラミングを施すことでカスタマイズ可能で、電池をつなげて稼働させます。このデバイスを使って何ができるのかのアイデアを出してもらい、実際に自分でプログラムも行うという取り組みをしました。
この取り組みの中で、加速度センサで動きのセンシングができる、気圧センサで階段の上り下りの姿勢が識別できるなど、さまざまなアイデアが生まれました。そこで生まれたアイデアを膨らませる過程で、小さくなればどうなるか、データを飛ばせるようになればどんな使い方ができるかなどの意見が出たことで、センサも成長しました。
小嶋さんの研究で用いた「Candy-P2」は、「DiamondSeeds」と比べてサイズも小さくなり、電源は外部接続の電池からコイン電池内蔵、センサデータはUSBケーブル接続からBluetooth送信など研究の進展に合わせて改良されています。研究が進み、さまざまなアイデアが登場するとともに、我々の製品も成長しています。こうしたお互いに「成長できる」のが我々の共同研究の面白いとことであり、大きな特徴ではないでしょうか。
研究に終わりがないということでしょうか?
TDK 栗原一般的な共同研究はゴールありきで進められますが、まだ我々の取り組みには明確なゴールが見えません。言い換えればゴールは無限にあるともいえます。つまり、考え方やアイデア次第でどのような方向にでも進むことができます。大きな可能性を秘めている研究なので、企業、研究室、学生のいずれもが楽しみながら取り組んでいます。お互いが成長しながら何か生活に役立つ新しいものを世の中に出す。これは一般的な共同研究にはない新しく、また面白い取り組みではないでしょうか。
「新しいモノの見方」を提案する
きっかけになった
この共同研究で得られたものを教えてください
太田先生今回の小嶋さんの研究の場合、ただ先行研究を調べればできるものではありません。また、センサを数多く装着して時間をかけてデータを取るといった、既存の歩行バイオメカニクス、歩行の研究をそのまま応用するのでは、現場では受け入れられません。実際に現場でそのような複雑なことは日常的に行えないからです。つまり「現場に技術が受け入れてもらえない」のです。技術の前に「現場で使えるものか」という視点が大事です。こうした考えを、学生が共同研究を通して理解してくれたのではと思います。
長澤先生学びという点では得られるものがたくさんありますね。学生は病院や介護の現場のことは分かりません。そんな知らない中に飛び込んで、集団の一員としてのセンサをプレゼンするからには、製品作りのために現場の方にヒアリングを繰り返し行う必要があります。いわゆる「参与観察」という手法ですが、集団の中で共に過ごしながらデータを見たり、技術を考えたりするのは、学生が研究者として大きく成長する機会になりました。
TDK側はいかがでしょうか?
TDK 米田OGということで、楠本さん、小川さんと共に、楽しみながら取り組んでいます。楠本さんと小川さんには、プログラミング授業を指導する立ち位置で、入社2年目から共同研究に参加してもらいました。
今回の共同研究は下は19歳、上は社会人ドクターの方を含めると50代の方もいて非常に幅広い年齢の方が参加しています。イベントを行う、共同研究の指導を行うなど、企業と大学との交流が生まれ、幅広い世代のニーズが拾えたのと同時に、たくさんのことを学ぶことができました。学生さんと共に私たちも成長できたのではないでしょうか。
特に先生方が語られる生活工学の視点には感銘を受けることばかりで、技術に対する見方や考え方が変わりました。自分のフィールドにおいても、「社会に役立つ技術」「生活を豊かにする技術」を常に意識するようになった様に思います。
TDK 小野松若手だけでなくベテランの技術者にとっても貴重な経験になりました。特に今回の小嶋さんの研究は、歩行安全の技術をどのように社会に実装できるかを考えるきっかけになりました。
新しい製品を生み出すだけでなく、これからは「新しいモノの見方」を、TDKをはじめ、多くの企業が世の中に問うていかなければならないと思います。そうした意味では、こうした共同研究を通じて若い世代の発想に触れられるのはありがたいですね。
今後はSDGsに貢献する研究も
TDK側の今後の展望を教えてください。
TDK 小野松今回の「Candy-P2」には搭載していませんが、TDKでは全固体電池という製品もあります。通常のリチウムイオン電池は、正常に稼働する温度の幅が狭く、高温で発火するなど扱いが難しい部分があります。しかし、我々が開発している全固体電池は、安全性の高さが特徴で、体に装着するという用途に適しています。まだ研究段階ですが、「Candy-P2」や次の「Candy-P3」には搭載できるようにしたいです。
また、ドローンに搭載する加速度センサにおいては、我々のIMU(慣性計測装置)がデファクトスタンダード(デファクトスタンダード:結果として事実上標準化した基準)に近い割合になっています。精度については高い評価を得ているが、生活での利用という面ではまだまだこれから。共同研究の中でさらに多くのアイデアを得たいと思います。
大学側はいかがでしょうか?
長澤先生本研究は、SDGs(持続可能な開発目標)への貢献という面でも大きな可能性を秘めています。SDGsを達成するには、「普段の生活を見直すこと」が大きなファクターです。私たちが何気なく送っている日常生活の中には、まだ「持続可能性」が見いだせていない部分がたくさんあります。TDKと共同で、SDGsに向けた新しい取り組みができればと思います。
太田先生コロナ禍で厳しい状況ですが、再び活動できるようになったら現場での研究を進めていきたいです。加速度センサを用いた研究もストップしているので、実際に施設でのデータ収集ができればうれしいです。そこで得たデータを長澤先生の建築分野の研究と組み合わせることで、さらに可能性が膨らむはずです。
また、大学は半期学んで試験を行って評価をつけるだけのような学習では、学びとして不十分だと思います。大学も新しい発見や新しい価値をどれだけ提供できるかが大事ですから、共同研究を学生の成長にも生かしていきたいです。
ENDING
太田先生らとTDKの共同研究は他とは異なり「成長し続けること」が大きな特徴です。参加する学生ひとりひとりのアイデアが新しい枝や幹になり、大きく成長していくということですね。学生にとっても非常にやりがいのある、魅力的な研究ではないでしょうか。特に高齢社会の今、人の生活に寄り添う研究の需要は大きく増しています。この共同研究から、新しい時代を切り開くアイデアが生まれるかもしれませんね。
文:中田ボンベ@dcp
写真:(株)ブリッジ 田実雄大