VOL.02
TDKの技術と生活工学のコラボレーション
人々の生活を豊かにする技術を社会に実装する
超高齢社会の今、最先端技術を応用し、高齢者の生活支援を充実させるための研究が行われています。お茶の水女子大学では、人間・環境科学科の太田裕治教授が、医療や福祉の分野に科学技術を応用する「人間工学・医用工学」の研究を行っており、これまでにさまざまな機器やシステムを生み出してきました。今回は、TDKとも共同研究を行っている太田先生に、研究テーマである「人間工学・医用工学」や、この分野の魅力について伺いました。
PROFILE
太田 裕治 教授
お茶の水女子大学 生活科学部 人間・環境科学科教授。同大学院 人間文化創成科学研究科 生活工学共同専攻。1992年、東京大学大学院工学系研究科 博士前期課程修了。東京大学工学部助教授、東洋大学工学部助教授を経て、2001年にお茶の水女子大学助教授に就任。2011年11月より現職
太田先生が所属する人間工学研究室のHP
http://www.eng.ocha.ac.jp/biomedeng/index.html
人の特性を工学の観点で解明する
新しい学問
先生が研究されている「人間工学・医用工学」について解説をお願いします。
「人間工学」は、「人の特性を工学の観点で解明解析する学問」です。人の特性を理解する学問には医学や生理学が挙げられますが、こうした学問と比べてより工学的なアプローチで解き明かそうというのが人間工学です。私は、この人間工学で解析したデータを応用し、医療に携わる人、また高齢者の役に立つようなシステムやデバイスの開発を行っています。これが「医用(福祉)工学」です。どちらも比較的新しい分野で、私は30年ほど前からこの分野に携わってきました。
先生はこれまでにどんなシステムやデバイスを開発しましたか?
私がこの研究を始めた当初はまだ高齢社会とはいわれていない時代でした。そのため、最初は人工臓器や、障害者の方の支援技術の研究を行っていました。その後、社会は高齢社会に移り変わり、健康でいられる時間を延ばす健康工学にシフトしました。
例えば、福祉という面では、高齢者の転倒予防を目的とした、「歩行バランス機能の計測のための靴デバイス」が挙げられます。転倒は骨折につながり、日常生活に悪影響を及ぼします。
医療費という面でも、大きな負担となるため、QOL( Quality Of Life:生活の質 )を保つためにも転倒は避けないといけません。そこで、インソールに歩行バランスを測定するセンサを埋め込んだ足圧計測システムを開発し、転倒防止のための基礎的研究を進めています。
実際に高齢者施設でテストを行う段階まで研究は進んでいます。分かりやすい歩行データが取得できるので、健康運動指導士の方からは、運動メニューを作る際の参考にもなると評価してもらっています。また、具体的なデータを示すことは、高齢者の方の「励み」にもなるようで、運動教室ではより良いデータが出るよう競う参加者も多いですね。
現在は医療寄りの研究も再び手掛けるようになり、「脳外科医用をサポートするシステム」や「整形外科が骨折の診断に用いるシステム」などを開発しています。ほかには腸内細菌の研究も行っています。
研究テーマは多岐にわたるのですね。
新しい大きな世界を切り拓く技術の発見にいつも関心があり、面白そうなテーマがあるとついチャレンジしてみたくなります。現場の方や医師の方などとチームを組んで研究を行っていますので、日頃意見交換をする中で刺激を受けることや興味を引かれる話題が多く、「挑戦してみようか」となることが多いですね。
TDKとの共同研究もとても面白いテーマのひとつです。TDKの持つさまざまなセンサ技術を用いて組合わせて、どんな新しいものが社会に作り出せるか日々楽しく試行錯誤しています。
研究内容を
いかに社会に還元するか
現在研究されていることの課題はどんなことでしょうか?
「研究結果を社会に還元する方法」を考えることが課題です。研究というものは、ただ研究室で実験するだけでは社会に影響を与えることはできません。「アウトカム」といって、得られた結果を社会に出す必要があります。その上で、「インパクト」、つまり社会に与える影響まで計算したり設計したりしないと十分ではないのです。いけないのです。
大学の研究者はこれまで割とアウトカムから先のことは考えず、後は他に任せるという面が多かったのではないでしょうか。しかし、10年くらい前からそれが変わり、アウトカムとインパクトを正しく考えないと社会に還元できない、社会実装できないという考えを私自身も持つようになりました。
世の中に出す道筋を作らないと、興味を持ってもらえませんし、企業の方とも共同研究できません。転倒防止のインソールも、開発するだけでなく、実際に高齢者の方に使ってもらって評価してもらうなど、世の中に出す道筋を作っている段階です。
先生の研究がアウトカムした結果、世の中にはどのようなインパクトを与えるでしょうか?
高齢者や体が不自由な方の、QOLやSOC(Sense of Coherence:首尾一貫感覚)を向上させることができればうれしいですね。QOLやSOCが向上すれば、人生を楽しもうという気持ちになってくれるはずです。その結果、全体的に良い社会に向かっていくのではないでしょうか。
工学は世の中の役に立つものが
生み出せる
先生は昔から理系科目が得意だったのですか?
子供の頃から理科や算数が得意で国語が苦手でした(笑)。理系に進んだのもそうした理由です。大学では医学の道に進もうかなとも思ったのですが、当時まだ高度経済成長の時代で、産業としても勢いがあったので、工学を選びました。
現在の研究に取り組まれた理由を教えてください。
私が通っていた大学は3年次に進む学科を選ぶ制度だったのですが、当時ロボットや精密機械、ソフトウエアの研究を行っている学科があり、幅広い知識が得られるのではと選びました。ただ、その時はまだ福祉や医療の技術に携わるとは考えていませんでした。
その後、4年次に研究室を選ぶ際、かつて医学を目指していたこともあったのでしょうか、医療工学がテーマの研究室のドアを叩いたのです。これが、今の研究に携わるようになったきっかけです。それから、卒業研究や修士研究などを通じて、共同研究者の医師からはいつも「早く作って!」と急かされながらデバイスやシステムを作ったり、病院に泊まり込んで装置を作ったりと様々な経験をしました。次第に誰かの役に立つものを作って届けるのは面白いと思うようになりました。
誰かの役に立つのが、この研究の魅力なのですね。
世の中の役に立つものが生み出せること、喜んでくれる人がいることは何よりの魅力です。大掛かりなものではなく、ちょっとしたものでも「こんなものが作れるのですか!」と喜んでもらえることがあります。すごくうれしいですよね。「こんなのできる?」と聞かれたときは、「作ってやろう!」とモチベーションも上がります。
医療や福祉の分野の課題解決には、最先端の研究や知識がいつも必要ということはありません。すでにあるものを組み合わせたり、応用したりと、再構築したものが思わぬ好結果を生むことも往々にしてあります。もちろん、新しいものを生み出すことも楽しいです。
そうして生まれた意外なアイデアを、アウトカムとインパクトにつなげることも大事です。技術屋ではあるものの、決して技術自体におぼれることなく、世の中から求められているものが何かを理解することも重要です。もちろん、血気盛んな若い人は、ただただ愚直に真理や新技術を追究してもいいと思います。
理系の魅力・面白さは何でしょうか?
理系といっても数学や物理など基礎となる分野と、工学や農学など応用の分野に分かれます。数学や物理などは自身が不思議だな、なぜだろうと思うことが研究の起点となり、その答えを探究します。教科書の新しい1ページを自分で生み出せるような発見ができることが大きな魅力なのではないでしょうか。一方で、応用は社会への応用、還元です。これも先ほど話したように、世の中の役に立てるのが面白い点だと思います。両方が一度に味わえる研究テーマが一番魅力的と思います。
基礎と応用の
どちらを学びたいのか
分けて考えよう
これから理系の道に進もうと考えている若い世代にメッセージをお願いします。
高校生には、よく「基礎と応用のどちらを学びたいのか分けて考えるべき」と話しています。後者に関してはそもそも学校で習わないので想像するのは難しいと思いますが、漠然とでもいいので、両者は方向性が異なるのだと理解しておくと、後々、ものを考えるときに役立つはずです。また、分野は分かれはするものの、基礎知識は両者で共通であり、どんな場面でも重要です。まずはしっかりと勉強して、今後の下地を作るようにしてください。
どんな学生に先生の研究室に入ってきてもらいたいですか?
理学的な関心がある人はもちろん歓迎ですし、具体的に高齢者や体の不自由な方のサポートがしたいと考えている人にも来てもらいたいです。幸いにもこれまで様々な方々や機関と共同研究をしていますので、研究活躍の場は幅広く用意できます。また、強い関心と意欲だけでなく、しっかりと物事について考え、議論できる人だとうれしいですね。
NEW GENERATIONS
INTERVIEW
太田先生の研究室で学ぶ修士2年の川田碧さん(右)、修士1年の北山亜紗美さん(左)に、現在取り組んでいる研究内容やその魅力を聞いてみました。
現在研究している内容を教えてください。
川田さん私が研究しているのは、先ほど太田先生が挙げられた、「高齢者の転倒を予防する靴型のセンサデバイス」です。内蔵したセンサが体重のかかり方を計測して、そのデータを基に転倒する可能性を調べます。担当している作業としては、センサで得たデータの解析作業が中心です。
川北さん私は「床振動から活動量を測定するシステム」を研究しています。活動量の測定は、従来は腕などに活動量計を装着する必要がありましたが、装着の負担があり、また細かいデータの測定ができませんでした。そこで、床振動から活動量を調べることができないかの研究を行っています。すでに大学内の実験住宅を使ってデータを取得済みなので、私も現在はデータの解析が日々の作業です。
お二人が担当されている研究の面白いと思う点を教えてください。
川北さん従来使われていた手法では転倒の予測ができませんでした。ただ、私たちが研究している新しい方法であれば、転倒の予測が可能になり、高齢者の方の生活リスクを軽減させることができるかもしれません。今までにないチャレンジであることや、誰かのためになることに、面白さややりがいを感じています。
靴型のセンサデバイス
川北さん私の研究も「活動量計を装着しなくても計測できる」という、今までにない手法なので、画期的な手法に挑む面白さはあります。この研究が将来高齢者の方や、体の不自由な方の役に立てばうれしいです。
反対に、難しいと思う点は何ですか?
システムの研究
川田さん現段階ではまだ課題も多く、今後はより精度を高めることが求められます。ただ、これまでにない新しい手法なので、どのようなアプローチを用いればいいか常に模索しないといけません。これが難しいと思う点ですね。
川北さん扱う機器やセンサの種類が多いため、個々の機能や使い方をマスターしないといけないのは大変でした。
大学の研究室で学ぶ魅力は何でしょうか?
川田さん大学で出会える学生は、は同じ研究室の学生だけでなく、ほかにも全く異なる研究に携わっている学生や、あまり専門知識のない学生までさまざまです。そうした幅広い考え方の学生と交流できるので、例えば研究している側では気付かないアイデアや、意外な盲点に気付かされることも少なくありません。学生同士で刺激し合える環境で学び、研究できるのは大学で研究する魅力ではないでしょうか。
川北さん私もいろんな人と交流できる環境は大きいと思います。学生同士だけでなく、専門知識に長けた先輩や、指導してくれる先生もいるので、研究に行き詰まった際にサポートしてくれたり、助言してくれたりします。新しい知識や経験が得られる機会も多いですから、大学で研究するのは面白いですね。
TDKとの共同研究で
幅広い応用研究を
先生の今後の展望を教えてください。
既存の研究に加え、現在TDKとも共同研究を行っていますので、研究成果を発表できればと思います。もうご一緒して3年ほどになりますが、最初は「におい」の研究など、さまざまなテーマを模索しながらスタートし、情報関係の授業の開発も行いました。現在はTDKのセンサ技術を用いた高齢者向けの健康管理デバイスの開発に取り組んでいます。
TDKとの共同研究の面白い点は何でしょうか?
TDKのセンサはその種類が多彩ですから、幅広い応用研究が可能です。5G、IoT時代の今、モノに通信機能を持たせることが求められています。その意味でも、組み合わせるセンサの種類が豊富なことは研究する側も楽しいですし、やりがいがあります。健康管理デバイス以外にも、高齢者施設や建築といった分野でも活用できるのではないでしょうか。
TDKとの共同研究の中で、学生にどんなことを学んでもらいたいですか?
研究室で学ぶ学生は、基本的に学内の実験室で研究することが多く、あまり外の人と交流することがありません。しかし、TDKと共同研究をすることで、TDKの担当の方はもちろん、それ以外の協力者の方と話したり、交渉したりする場面が増えました。学生にとっては「社会に触れる」という貴重な機会となり、その経験を社会に出たときに十分に生かしてほしいと思います。
ありがとうございました。
ENDING
太田先生が研究を進められている「人間工学」は、「人の特性を工学の観点で解明する学問」とのこと。また、そこで得られた情報を医療や福祉に生かすのが「医用工学」です。現在、日本の全人口の約3割が65歳以上の高齢者となっており、今後この割合はさらに拡大すると見られています。高齢化が進むにつれて、医療や福祉の課題も増えますが、先生の研究が課題の解決に貢献し、明るく楽しい社会作りの一助となるかもしれません。 次回はそんな、人間工学を研究する太田先生とTDKによる共同研究にさらにフォーカスしていきます。
文:中田ボンベ@dcp
写真:今井裕治