Report
【連載】TECH-MAG 研究室レポート
この研究が未来を創る vol.16
取材日:2021.04.27
女子大生ならではの視点で新しい工学の道を切り開く
奈良女子大学研究院 工学系 人間情報学講座
才脇 直樹
生活者の視点に寄り添った研究で
次世代を切り拓きたい
vol.
16
OPENING
奈良女子大学は、国立大学で2つしかない女子大のうちのひとつですが工学研究においても近年目覚ましい活躍を見せており、2022年度より工学部が設置されることになりました。この奈良女子大の工学研究の先頭に立つのが、才脇直樹教授率いる研究室です。今回は、要注目の才脇研究室でどのような研究が行われているのかを才脇先生に伺いました。
Profile
才脇 直樹(さいわき なおき)
先生
奈良女子大学副学長。同大研究院 工学系人間情報学講座 教授(工博)、及び、大阪大学大学院基礎工学研究科 石黒研究室 特任教授。大阪大学大学院基礎工学研究科助手、講師を経て、平成14年度文部科学省在外研究員としてロンドン大学脳認知発達研究所及びスタンフォード大学電子音楽音響研究所、ATR知能ロボティクス研究所客員研究員、甲南大学知能情報学部教授等を経て現職。G20京都会議運営委員、平成22・26・29年度日本学術振興会科研費優秀審査員表彰、E-Textile国際標準化WG主査。IEEE LifeTech 2019 Excellent Paper Award、第21回ヒューマンインタフェース学会論文賞等を受賞。著書は、感性情報学(工作舎)、スマートテキスタイルの開発と応用(CMC出版)等。
奈良女子大学 工学部HP
http://www.nara-wu.ac.jp/kougaku/
技術ではなく生活者の視点ありきの研究
才脇研究室ではどのような研究を行っているのでしょうか?
私たちは、信号処理や画像処理といったソフトウェア技術及びセンサやIoTのようなハードウェア(電子デバイス)技術と、奈良女子大で培われてきた家政学や生活科学の視点を融合させ、人間とインタラクション(相互作用)する新しいインタフェース(人間と情報処理システムを結ぶ技術)を生活に実装する研究を行っています。
新しい技術・取り組みを生み出すためにどのようなアプローチをしているのですか?
旧来の工学は「深掘り型」で、その分野のトップを目指し、スペックを上げていくというアプローチでしたが、その技術が日常生活で有効活用されているかというと、実はそこまで至らないことがほとんどです。
そのため、私たちは「技術を日常生活でどう応用できるか」を、生活者の視点、あるいは女性の視点で考える、人間中心の工学研究にオープン・イノベーション型で取り組んでいます。これまでそういった考え方で工学研究に取り組める学際融合型組織はあまりなく、私自身も、日々新しい工学分野を切り開く挑戦者の気持ちで臨んでいます。
具体的な研究内容を教えてください。
まずは「ウェアラブルコンピューティング」が挙げられます。これは、「身に着けられる情報処理システムを開発し、便利なツールを実現する技術」のことで、一般的には、「システム構築とツールの提供」に重点があります。一方、私たちは、「システムを身に着けることで、日常生活の在り方を根本的に変えられるのか」、「工学系男子ではないユーザが求める日常的なサービス、デザイン、快適性、安心・安全とは何か」といった、生活の質の向上にこだわった取り組みを進めています。
これまでの研究では、着用することで妊婦さんと赤ちゃんの心拍数を測定できる「健康見守り腹帯」を製作しました。この腹帯には「スマートテキスタイル」と呼ばれる、電気信号を通す導電性繊維を用いています。電子回路やセンサと衣服を一体化することで、ユーザ自身が携帯のように装置を持ち運んだり、専門家の手を必要とせず、誰でも着るだけで利用できるのが特徴です。
腹帯を作るきっかけになったのが、2006年に奈良県で起きた、救急搬送中の妊婦さんが受け入れ先が決まらずに亡くなった事件です。この事件は、病院搬送システムの見直しだけでなく、「すぐに病院に行けない地域に住む人々を見守るためのIT技術」の開発促進につながりました。私たちもIT技術を用いた遠隔検査システムがあれば世の中の役に立つのではと研究を行ったのです。
当時はまだ、国内メーカーではスマートテキスタイルを製造していない時代だったので、海外メーカーから取り寄せて開発と実験を行いました。この腹帯は、恐らくスマートテキスタイルを使った最初期の実例の一つなのではないでしょうか。
時代の先駆けだったのですね。
赤ちゃんの状態を確かめるだけではなく、無線LANを経由して、医師や家族と情報を共有するIoT技術も提案しました。また、日々取得したデータをビッグデータとして蓄積することで、健康状態の変化や病気の発症にいち早く気付く手法も生み出しました。現在ではAIを用いた体調管理などが注目されていますが、当時は他にない技術で、企業と協力して開発を進め特許申請も行いました。
あまり知られていないですが、実は奈良女子大学はスマートテキスタイルやIoT、ビッグデータの分析など、現在注目されている技術に早期から取り組んでいた大学の一つなのです。
腹帯以外にも、「紫外線計測カチューシャ」や「健康管理のためのにおい計測ポシェット」、「冷え性予防温度制御服」、「弦楽器演奏練習支援服」、「バンド演奏時のステージ演出制御服」といった様々なウェアラブル・インタフェースを発表し注目を集めました。こうしたユニークな研究が行えたのも、女子大生ならではの問題意識から出発し、それを普遍的技術として昇華するために、皆で努力してきた結果だと考えています。
世界初の「触感」を組み込んだアンドロイド
他にはどのような研究をされていますか?
「触感」、つまり「触り心地」を計測する技術にも取り組んできました。これは古くから本学で取り組まれていた被服素材の風合い研究です。その研究成果を応用した「KES」という風合い計測技術は、衣料品に限らず、自動車メーカーや建材メーカーなどさまざまな企業で活用されています。
しかし、従来の「KES」による計測は専用の機械を用いるため大掛かりでした。そのため、先端技術を導入した小型化にチャレンジし、指先サイズのセンサで対象の表面をなぞるだけで、触り心地を認識できるシステムを実現できました。
このセンサを、アンドロイド研究で知られる大阪大学の石黒浩先生と協力開発したアンドロイドに搭載し、「人間との触感コミュニケーションを実現できるアンドロイド」を生み出しました。この開発では、漫画を描くのが上手な女子学生が顔や体、人間とのインタラクションまでデザインし、恐らく、「世界で初めての、女子大生がデザインした人間と触感コミュニケーションできるアンドロイド」だったろうと思います。
触感の分析とは逆に、コンピュータで様々な触り心地を生み出す触覚ディスプレイの研究にも取り組み、指先で受けた触感の違いを脳がどのように認識するか、MRIを用いた先駆的な研究を行う事ができました。
成果の集大成として、ロボットやセンサといった技術を、ウェアラブルなインタフェース技術と組み合わせた研究にも取り組んでいます。
例えば、ユーザが着用しているセンシングウェアから、日々の仕事や健康状態をモニタリングし、その人にあった生活アドバイスをしてくれるロボットナースの研究です。高齢者看護の補助的な役割はもちろん、サラリーマンの労務管理にも役立つ工夫をしています。
最近では、導電性繊維を用いないセンシングウェアも研究していると伺いました。
はい。「プリンテッドエレクトロニクス」という、繊維の表面に電子回路を印刷して形成する技術を用いた研究をしていて、これもスマートテキスタイルの一種です。以前の「電極」として使うアプローチは運動を伴う場合にノイズが混ざったりして、うまく分析できないことがありました。また、運転手の乗務状況を見守るようなケースでは、乗務の度にセンシングウェアを着脱すると手間がかかり、常にデータを計測するのもプライバシーの観点から疑問がありました。そこで、「使う人の視点からデザインしよう」という考えで、別のアプローチ方法を考えたどり着きました。
例えば、睡眠の質を分析したいのであれば、夜寝ているときだけ着用してもらえれば十分ですし、呼吸で胸が膨らんだり手足が動いた際に、衣服の繊維も伸び縮みしますが、この動きは衣服にプリントしたセンサで十分計測できるので、必ずしも導電性繊維にこだわる必要はありません。継続的に睡眠の質の分析を行う事で、悪化の兆候が見られたら産業医やカウンセラーに相談してもらったり、シフトを変更するといった柔軟な労務管理が実現できます。
使う人のことを考えて、より使いやすいシステムになるのですね。
そうですね。人間中心のインタフェース・デザインや設計を行うのが研究室のテーマですから、ユーザの状況に応じた最適・最新の技術を用いることを考えています。今後はロボット型や、ユビキタスと呼ばれる生活環境とセンサを一体融合化した型など、ウェアラブルに限らないインタフェース研究も考えていきたいですね。
次世代を切り開くアイデアを生み出す研究
先生の研究が世の中に与える影響は何でしょうか?
「わかりやすく絵に描いた未来」としては、皆がセンシングウェアを着て暮らし方を計測し、健康管理だけでなく個々に応じた生活アドバイスができるといった形です。それが実現すれば、今回のようなパンデミックの際に、緊急性を要する人から検査や入院の手続きを行うといったこともできるのではと考えます。
しかし、実現するためには、超えないといけないハードルがたくさんあります。遠隔医療のように、技術的問題のみならず法整備が必要な場合もありますし、そもそも社会的コンセンサスが出来上がっていないといけないかもしれません。新たな技術を本質的に生かすためには、現状に技術を合わせて社会実装するよりも、社会の在り方を適切な技術レベルに合わせて改革したほうが効果的かもしれません。そして、生活や社会を改革していくのは、いつも常に「人自身」です。優れた技術でも生き残れなかったものは数えきれないほどあります。それでも、次の時代を切り開くための手がかりになることも多くあるわけです。そのため、研究面での努力はもちろん、それをどう生かすかという「人」の育成も重要視しています。
「技術を生かす側」を成長させるということですか?
そうです。「人が身近な生活を変え、社会の価値観を変え、時代を変えてゆく、そうした学際性を持った工学者」といえば良いでしょうか。そのために、学生が研究の中で「自身の可能性」に気付けるように意識しています。TDKとのコラボレーションも、学生の可能性を広げるためのアクションの一つです。マイコンボードを提供いただき、これを活用して何ができるのか、学生が自由に発想し、アイデアを形にする過程を実践的に学んでもらう訳です。
新たに設置する工学部で社会実装のヒントをつかむ
現状の課題は何でしょうか?
やはり社会実装です。我々の考え方からすると、生活実装といった方が良いのかもしれません。新たに設置予定の工学部では、その足掛かりとして大学発で起業した会社に学生が参加し、実践的にシステムを作りながら社会で生かす方法を模索するプログラムも考えています。学生達には、社会を変えると同時に自分自身も変われるような、そんなわくわくする研究を体験してもらいたいですね。
先生の今後の目標を教えてください。
本学に赴任し、工学と女子大生ならではの視点の学際融合という、これまであまり見られなかった組み合わせにチャレンジしましたが、思いもよらない発想や考えに触発され、自分自身学ぶことが多くありました。新しいチャレンジで、新しいつながりが生まれたりもしました。情報技術は新しい視点・価値観によって成長する分野です。今後も、女子大の工学部ならではの、新しい取り組みを生み出していきたいですね。
自分の夢を形にできる学問
先生が情報処理技術に進んだきっかけを教えてください。
小学生の頃に「ラジオ」に興味を持ったことです。当時、科学雑誌の付録で簡単なラジオのキットが入っていて、「なぜこんなもので放送が聞けるんだろう」と不思議に思いました。また、ロンドンのビックベンの鐘の音が聞こえてきた衝撃は今でも忘れられません。なぜ日本にいるのにイギリスの放送が受信できるのか、興味は尽きませんでした。
どうしても、もう一度ビッグベンを聞きたくて、屋外アンテナを立ててみたり、ラジカセそのものを改造するためメーカーに回路図を請求したりしました。
メーカーから返事はあったのですか?
うれしいことに技術者の方から返事があって、大量の資料が送られてきました。改造を試したり、アマチュア無線の免許を取得したり、部品を集めて無線機を自作したりしました。こうして通信技術について学んでいるうちに、耳に聞こえない電波も、耳に聞こえる音波も、同じ信号処理技術の対象なんだと気づき、「シンセサイザーの自作」にも挑戦しました。
大学進学の際も、自分がこれまで趣味として培ってきた技術を深めたいと考え、制御工学を学ぶ道を選びました。技術だけを学びたい訳ではなかったので、生体計測や音楽情報処理、ロボティックスなど「人に寄り添った技術」も研究していたのが大きいです。その後、大学院までいったらもう「研究するという世界の魅力(魔力?)」から抜け出すことはできなくなった……というわけです(笑)。
理系のどんな点が魅力だと思いますか?
「原理を理解できる」ことですね。未知の部分も多くありますが、なぜこうなるのかが理解できるのが興味深いところです。また、学んだ原理を使って自分の思うようにシステムを制御できるのも面白い点です。自分が作りたいもの、つまり自分の夢を形にして動かせるわけですからね。さらに、自分が生み出したモノや技術で社会に貢献できる可能性もあり、こんなに面白い学問はないと思っています。
信念は大事にしつつ物事に柔軟に対応できる力を付ける
最後に、理系に興味がある中・高・大学生へのメッセージをお願いします。
個人的には、ひとつのことにこだわらない柔軟な頭と広い視野を持ってほしいです。サイエンスの分野では専門はひとつの方がいいという考えもあります。しかし、工学、「モノづくり」の世界は、トレンドがどんどん変化します。社会に求められる技術も変わるわけです。そこで柔軟に対応できる事や幅広い教養の引き出しをもって自由自在に発想できる事が、工学の研究者としては必要なのかなと思います。
例えば、今高校生で様々な大学のHPなどを見ながら、工学とはこんなものかなと想像したとしても、大学でその通りの研究ができるとは限りません。専門家に認められる研究には新規性やオリジナリティの高さが必要で、大学の専門家たちが今何を求めているかは、研究室に入ってみないと見えてこない場合が多いと思います。その結果、想像もしなかった新たな課題に取り組むことが求められるケースも多くあります。
そうした局面にも柔軟に対応し、新しい技術や知識を意欲的に学べる人が、大学でも企業でも求められていると感じます。
表面上別物に見える研究でも、自分の得意な技術を生かせるケースも多くあります。プログラミングや電子回路といったベーシックな技術は全ての基盤ですし、様々な分野の教養は仕事全体を俯瞰するのに役立ちます。自分のこだわっている「好きで得意」な部分、譲れないものは大事にしつつ、時には自分とは異なる考えを受け入れる「余裕と柔軟性」を持った人になってもらいたいです。そして、何よりも、「物作りに夢」を持ち続けて欲しいな、と思います。
ありがとうございました!
NEW GENERATIONS INTERVIEW
才脇先生の研究室で学ぶ佐藤優さん、野末楓夏さんの2人に、卒業研究の内容や、大学の研究室で学ぶ魅力などを聞いてみました。
まずは佐藤さんから卒業研究の内容を教えてください。
佐藤さん私はリトミック(音楽と触れ合いながら基礎能力の発達を促す音楽・情操教育)に活用できる「スマートテキスタイルを用いた音と映像のインタラクション環境構築」という卒業研究を行いました。スマートテキスタイルを縫い付けたグローブで手をたたくなどのアクションを行うことで、音や映像が変わり、誰でも簡単にリトミック学習が行えるというものです。卒業制作の前に、TDKのマイコンボードを用いた「デジタル万華鏡」を作ったことがメディアアートを活用したリトミックの発想につながりました。
野末さんはどのような卒業研究を行ったのですか?
野末さん私は「乳がん術後患者向けブラジャー開発に寄与する下着型ウエアラブルデバイス」の制作に取り組みました。乳がん患者は乳房を切除した場合に形状が変化し、術後の形状も個人差があります。このデバイスは、ズレを計測し、体の形状に合わせて下着が変形するため、パッドのズレや肩ひものずり落ちなどを防ぎます。研究では、ブラジャーの内側にセンサを取り付けてズレを計測したり、デバイスの動作を調べるなどを行いました。
それぞれ研究の難しかった点を教えてください。
佐藤さんリトミックに活用したいという考えよりも、メディアアートを生かしたいという考えから始まったので、そこに「意味を持たせる」ことに苦労しました。先行研究なども調べつつ新しい観点を見出すのが難しかったのですが、先生から「リトミックに使えるのでは」というひと言で、メディアアートをリトミックに活用するという考えに至りました。そのひと言がなければ、ずっと悩み続けていたと思います。
野末さん私はまだ計測や動きの実験のみで、患者さんの実験までは至っていません。現状はセンサボードを複数つなげている状態なので、今後は「小型化」が求められますが、これも難しいことですね。課題は多いのに、こんな機能を入れたい、このような動きにしたいなど、したいことが増えていく一方のもどかしい状況です。
研究で面白かった点は何ですか?
佐藤さん難しいことも多かったのですが、先行研究を調べることで、新しい知識や気付きが得られたのは楽しかったです。
野末さん私も同じで、新しい知識や自分の中になかった研究へのアプローチなど、多くの知見を得ることができました。特に先生からの助言から得られるものが多く、この研究室に入ってよかったなと思っています。
大学の研究室で学ぶことの魅力や面白さを教えてください。
佐藤さんいろんな研究に携われたり、手厚いサポートが受けられたりするのは、大学の研究室ならではだと思います。特に才脇先生の研究室は、自分のしたいことやチャレンジしたいことを理解してくれて、背中を押してくれるので、楽しんで学ぶことができます。
野末さん私は高専で情報技術を学んだ後、3年次に奈良女子大の生活環境学部に編入しました。高専ではひとつの技術を磨いていくという形でしたが、才脇先生の研究室は「とにかくいろんな方法で思い描いたことを形にする」というアプローチなので、それがとても新鮮でした。大学の研究室は先生だけでなく生徒にもいろんな知識を持つ人がいて、いろんなシステムがあり、いろんなところにヒントがあります。もしかしたら才脇先生の研究室だけかもしれませんが、大学の研究室で学ぶことは楽しいですね。
ENDING
女子学生ならではの視点で新しい形の工学研究を生み出す才脇先生の研究室。2022年には全国の女子大初の工学部が設置されることになり、才脇先生も新しいアイデアを生み出そうと非常に意気込んでおられました。これまでにも画期的かつ最先端の研究を生み出してきた奈良女子大。今後、どのような新しい研究が生まれるのか要注目です。
文:中田ボンベ@dcp
写真:ヒロセモトヒロ