Report
【連載】TECH-MAG 研究室レポート
この研究が未来を創る vol.14
取材日:2020.12.11
生物の機能や構造を技術に応用する「生命工学」
東京農工大学大学院工学研究院 新垣篤史
「分からないことが多い」には
大きな可能性がある
vol.
14
OPENING
2020年10月、「車に踏まれても潰れない虫 頑強なボディの構造と組成を解明」したという研究結果が発表されました。特殊な構造の外骨格を分析することで、その特徴を別の分野にも生かせるのではと期待されています。こうした、生き物に関する知見を技術に変える学問は「生命工学」と呼ばれており、非常に注目が集まっている分野です。今回は、甲虫の研究を行っている東京農工大学大学院工学研究院の新垣篤史准教授に、「生命工学」について伺いました。
Profile
新垣 篤史(あらかき あつし)
先生
東京農工大学大学院工学研究院 生命機能科学部門 准教授。
2003年、東京農工大学大学院工学研究科生命工学専攻 博士後期課程修了・学位取得(博士(工学))。早稲田大学理工学研究科・客員研究助手、東京農工大学大学院共生科学技術研究院・助手などを経て、2011年より現職。日本化学会、日本生物工学会、マリンバイオテクノロジー学会、電気化学会、高分子学会所属。
新垣先生が所属する生命分子工学・海洋生命工学研究室のHP
http://web.tuat.ac.jp/~biomol/
生物の機能を技術に応用
先生が研究している「生命工学」について教えてください。
生物の機能や生物が生み出すものを、私たちの身の回りの技術に応用するのが「生命工学」です。以前は「バイオテクノロジー」と呼ばれており、微生物を中心に研究が行われていました。例えば、お酒やしょうゆを作るには微生物の力を借りますが、そうした微生物の応用研究が、化学、生命科学、工学などと融合し、発展した学問分野です。
農工大では、古くからバイオテクノロジーの分野に深く取り組んでおり、「生命工学」という言葉を使ったのも農工大が先駆けです。現在は、食品だけでなく、医療や材料の分野でも生物から得た知見を応用するための研究が進められています。また、最近では地球環境に配慮した材料作りが重視されているため、自然の技術を応用する生命工学に注目が集まっています。
10月に発表された「甲虫の外骨格の分析」も、生命工学ならではの研究ですね。この研究についてあらためて解説をお願いします。
カブトムシなどの甲虫は、頑丈な外骨格を身にまとっていますが、なぜ頑丈なのかは明らかにされていませんでした。そこで、海外の研究グループと共同で、甲虫の素材を研究しようということになったのです。そこで研究対象となったのが「アイアンクラッド」という、鉄を意味する名前で呼ばれている海外の甲虫でした。車に踏まれても潰れない甲虫として現地では知られています。
当初は「ただ分厚いだけなのでは?」と考えていましたが、「アイアンクラッド」の頑丈さは分厚さが理由ではなく「構造」に起因していることが分かりました。通常の甲虫は、外骨格の接合部分を見ると1対の凹凸が組み合うようになっていますが、「アイアンクラッド」は2対の凹凸が組み合わさるようになっていました。
独特の組み合わせになっていたのですね。
組み合わせの数の問題なので、当初は頑丈さに大きな影響はないと思っていましたが、分析を進めると、外骨格の接合部分にミクロの層がウェハースのように折り重なっており、この層が衝撃を吸収することが分かりました。層状であっても強い負荷がかかると壊れてしまうものですが、2対の凹凸になっていることで「強い粘り」を生み出し、壊れにくい構造になっていたのです。
また、昆虫の甲殻は「キチン」という物質とタンパク質によって構成されていますが、「アイアンクラッド」は通常の甲虫よりも、タンパク質が多く含まれていることも分かりました。これも、外骨格が他の甲虫と比べて頑丈になっている理由だと考えられます。
甲虫の外骨格の研究はどのような分野で生かされるのでしょうか?
甲虫の外骨格は組成物が同じであっても、部位によって硬さが異なります。この知見を応用すれば、例えばプラスチックなどの材料を作る際に、使う材料は同じでも、用途によって強度を自由に制御できるようになるかもしれません。そうすることで、新しい素材が生み出される可能性もあります。
また、今回の研究を踏まえて強度実験をしたところ、接合部の組み合わせは3対や4対と増やすよりも、ある特定の条件下では2対の組み合わせが最も高い強度になることが分かりました。この知識も、例えば鉄板と鉄板を接合する場合などに生かせるのではと考えています。
飛行機や自動車などを作るための材料研究にも生かせそうですね。
いずれはそうした分野でも応用できればうれしいですね。ただ、現在は生物がどのようにして外骨格を作り出しているのか、制御しているのかを研究している段階ですので、まだ先の話でしょう。
その他の例として、「キチン」は生体適合性の高い材料なので、手術時の止血剤や心臓の修復に用いる材料、細胞培養のための基盤材料への応用なども考えられます。
工学分野だけでなく医療への応用も期待できる細菌の研究
先生は「磁性細菌」という、磁石の形を制御できる微生物の研究もされていますが、こちらはどのような研究なのでしょうか。
「微生物が磁石を作る」と聞くと意味が分からないと思いますが、「磁性細菌」はどこにでもいる微生物です。そもそも、人間が鉄分を必要としているように、微生物も鉄分が必要なため、鉄を集めて体の一部として利用しています。「磁性細菌」はその中でも特に多く鉄分を取り込む機能を持っており、取り込んだ鉄を酸素とくっつけて磁石を作ります。
ナノサイズの小さな磁石を人工的に制御するのは困難ですが、微生物はナノサイズの磁石を見事に制御しています。その謎について研究した結果、タンパク質を使って磁石の形を制御していることが明らかになりました。
人工的には難しいことを微生物が行っていたのですね。
微小な磁石を人工的に作ると正八面体の形になります。ところが、磁性細菌から採取したタンパク質で作ると、球に近い十四面体の磁石を作ることができたのです。磁石は形と大きさで磁性が大きく変わるため、磁性細菌の力で大きさと形を制御できれば、応用の幅も広がります。
磁性細菌の研究はどのような分野で応用されていくと考えていますか?
一般的には磁気テープの材料を作るための技術応用が考えられますが、「医療への応用」にも取り組んでいます。医療への磁性体の応用は、MRIの造影剤など一部ですでに実用化されていますが、がんの治療にも使えるのではと期待されています。
例えば、体内に入った薬をコントロールする「ドラッグデリバリー」の場合、磁性体を含んだ薬剤を投入し、患部に磁場を作り出しておくことで、効果的に薬を患部まで運ぶことができます。抗がん剤は副作用が問題となりますが、患部に的確に届けることで体内の余計な場所に留まることがなくなり、副作用を抑えられる可能性があります。
また、磁性細菌は磁石で誘導できるだけでなく、酸素センサーを持ち、べん毛を使って自発的に動くことができます。つまり「小さなロボット」といえます。将来的には、磁性細菌の遺伝子を組み換えるなどして、人の体内でも活動できる細胞型ロボットにできないかと基礎研究を進めています。
生命工学は複数の知見を結集して謎を解明していく学問
先生が「生命工学」の道に進まれた理由を教えてください。
高校生のときに、ノーベル化学賞受賞者の福井謙一先生の講演を聞いたことが大きかったです。当時は何の話をしているのか正確に理解できなかったものの、ものすごい研究に取り組まれているのだと感銘を受けました。それで理系の道に進もうと思いました。
高校時代にアリやハブの生態を研究している先生がいて、生物の不思議さや面白さに興味を持ったのもきっかけです。そのため、当時比較的新しい学問でもあった生命工学を選んだのです。
生命工学にのめり込んだ理由は何でしょうか?
やはり「分からないことが多いから」ではないでしょうか。身近な生物であってもまだ解明されていることは少なく、その分、新しい発見がたくさんあります。生物が持っている機能には大きな可能性があると分かったのが、この研究を続けていこうと思った理由です。
先生は、生命工学のどんな点に魅力を感じていますか?
未知の分野ですので、「こうなるだろう」と思って研究していても、「予想外の結果」が出ることも多くあります。なぜこのような思いもよらぬ結果が出たのかを追究し、その謎を明らかにできた瞬間は非常に面白いです。磁性細菌の形の制御も予想外の結果で、まさかタンパク質が関係しているとは思っていませんでした。
一方で、新しい分野のため「できないこと」も多くあります。例えば、動いている分子を目で見るのは電子顕微鏡でもできません。しかし、そうした「できないこと」をどのように工夫するかも楽しいと思えることです。
また、生命工学と聞くと、生物学と工学の2つが組み合わさったものだと想像する方が多いでしょう。しかし、実は学際的(※)な分野で、生物学、工学に加え、化学、物理、地学、医学と総合的な学問です。いろんな人の知見を結集して謎を解明していく学問ですので、これは非常に面白いですね。
※ 研究がいくつかの異なる学問分野にまたがっていること。
「理系の魅力」とは何でしょうか?
理系に求められるのは論理的に説明することです。つまり、物事を整理して人に示す必要があります。この力は、理系の分野だけでなく、あらゆる場面で通用します。理系と聞くと狭い範囲でしか使えないと思う人も多いですが、実は皆さんが思っている以上に多くの経験が得られる学問です。
恐れずに、かといって侮らずにチャレンジしてほしい
先生の今後の展望を教えてください。
生物研究はまだ分からないことだらけで、特に「制御」については謎の部分が多くあります。先ほどの甲虫の外骨格の形や強度をどのように制御しているのかも明らかになっていません。そのため、今後はどのように制御しているのかを分子レベルで明らかにしたいと思います。制御を研究すれば機能も解明でき、より具体的な応用が可能になるはずですから。
記事を見て、先生の研究室で学びたいという学生も出てくるかと思いますが、どのような学生に来てもらいたいですか?
一番は「興味を強く持っている人」ですね。また、先ほども話したように、生命工学は学際的な分野です。例えば、生物学や工学の知識がないと研究室で学べないということはありません。実際、機械を学んでいた学生や、土木を専攻していた学生も研究室に在籍していましたし、その後も活躍していますよ。
最後に中高生など若い世代にメッセージをお願いします。
進路を決める際は、自分が何に向いているのか、何ができそうかということを考えがちです。しかし、そうではなく、自分が興味を持っていること、なりたい将来像を考えて進路を決めるようにしてほしいですね。何か決められたスケールで考えたり、考えに固執したりせず、できるだけ「自分がしたいこと」を尊重してほしいです。そのほうが長く続けられるはずです。恐れずに、かといって侮らずにチャレンジしてほしいです。
また、よく留学など海外経験について聞かれることがありますが、海外の人や文化に触れる「経験」は、想像以上に多くのものを与えてくれます。語学力のみでなく、視野が広がると思いますので、ぜひ体験することを大事にしてもらいたいです。
ありがとうございました!
NEW GENERATIONS INTERVIEW
新垣先生の研究室で学んでいる博士課程1年の村田さんに、現在取り組んでいる研究内容や、大学で研究することの魅力を伺いました。
研究内容を教えてください。
先生の話にも出ていた、甲虫の研究を担当しています。外骨格にはどのようなタンパク質が含まれていて、どんな機能を持っているのか、また羽はどんな構造になっているのかなどを調べ、応用につながるヒントを探っています。
具体的にどのような作業を行っているのでしょうか?
甲虫から採取した外骨格や羽を細かく砕き、タンパク質の抽出を行い、その分析を行っています。ほかにも、硬化した状態だけでなく、羽化直後の外骨格も調べないといけないため、甲虫の飼育もイチから行っています。研究室では現在50匹の甲虫を育てていますよ。
虫に触れないといけない研究ですが、抵抗はありませんでしたか?
全くなかったわけではありませんが、そこまで虫嫌いではなかったので触れるのは問題ありませんでした。ただ、研究のためとはいえ、昆虫からサンプルを採取するのは抵抗があり、夢にも出てきたことがありましたね。
責任も大きな分、やりがいもあるのではないでしょうか?
分からないことが多い分野ですので、「これまでに誰も解明したことのない謎」に挑めるのは面白いですね。また、甲虫の外骨格の仕組みを明らかにして、どのように応用するかといった一連のプロセスに、最初期の段階から関われているのも楽しいです。自分で道を切り開くのは困難も伴いますが達成感があります。
大学で研究することの「魅力」は何でしょうか?
私自身、修士課程を終える段階で就職も考えたのですが、あらためて「興味を持ったことを突き詰められるのが大学で研究することの魅力でありメリット」だと考えました。研究を突き詰めたいと思った場合に、最も適した環境が大学の研究室なのではないでしょうか。
新垣先生の研究室の魅力を教えてください。
いろんな分野に取り組める研究室ということですね。新垣先生以外にも2人の先生がいて、甲虫、微生物、がん細胞と、同じ研究室内で複数のテーマがあります。この「選択肢の広さ」は、他の研究室にない魅力だと思います。また、複数のテーマが共存していると、他のテーマの情報や手法をヒントにできます。研究室内で刺激し合えるのは面白いですね。
最後に今後の目標を教えてください。
新垣先生のような研究者になりたいですね。ゆくゆくは先生を超えていきたいと思います!
ENDING
新垣先生が話されていたように、生物の研究はまだまだ謎だらけの分野。身近な微生物であっても、磁石を作り、人の手では難しいナノサイズの制御まで行っていることが分かるなど、驚くべき特徴や機能が多く隠されています。先生の研究が進めば、さらなる謎が明らかになったり、私たちの生活を一変させたりするような発見があるかもしれませんね。
文:中田ボンベ@dcp
写真:今井裕治