Report
【連載】TECH-MAG 研究室レポート
この研究が未来を創る vol.11
取材日:2021.08.21
小さなチップの中に人間を作る、新しい生体モデル
「Body on a Chip」
京都大学 高等研究院物質
-細胞統合システム拠点 亀井謙一郎
工学的、技術的アプローチで
「生物」を作りたい
vol.
11
OPENING
京都大学には細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス)という、細胞研究を行う専門機関があります。ここでは細胞や生体組織についてさまざまな研究が行われていますが、その中で注目されているのが、小さなチップの中に人間の体を再現するという『Body on a Chip』です。今回は、『Body on a Chip』を開発された亀井謙一郎准教授にお話を伺いました。
Profile
亀井 謙一郎(かめい けんいちろう)
先生
京都大学 高等研究院物質-細胞統合システム拠点 准教授。2003年、東京工業大学大学院生命理工学研究科生命情報専攻 博士課程修了。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の研究員として活躍した後、2010年より京都大学高等研究院物質-細胞統合システム拠点特定拠点助教に就任。2015年より同拠点で特定拠点准教授を務め、2018年より現職。また、同志社大学医学部の非常勤講師も務める。
亀井グループHP https://ken1kameigroup.org/
小さなデバイスの中に「人体の環境」を再現
先生が研究されている『Body on a Chip』について教えてください。
私は人の生理的な環境を小さなデバイスの中に再現する研究を行っています。例えば、新しく薬を作ったり、新しい治療法を試したりする際、いきなり人の体で試すことはできません。そのため、実験用の動物が用いられるのですが、動物愛護の観点で問題がありますし、そもそも動物と人とでは「種が違う」ので、薬や治療法の効果、副作用が違ってくるという点も課題です。
実際、動物実験で好ましい結果が出て人の臨床試験に移った場合でも、望まない反応が起こることは少なくありません。そこで、人の細胞を使って生体外で薬や治療法の実験・研究ができれば、人に使った場合の効果が正確に判定できるのではと考えたのです。その結果生まれたのが、人の細胞を使って小さなデバイスの中に「人体の環境」を再現する『Body on a Chip』です。
『Body on a Chip』はどのような仕組みなのでしょうか?
『Body on a Chip』は、内部に微小流路や反応容器を作成した「マイクロ流体デバイス」という小さなチップを用います。マイクロ流体デバイスには反応容器が複数あり、Aの反応容器に肝臓の細胞、Bの反応容器に心臓の細胞といった形で、異なる臓器細胞を一つのデバイスの中に入れることができます。これらの反応容器を流路でつなぐことで、実際の体と同じように各臓器がつながっている状態を再現しています。
iPS細胞の研究発展の一翼を担っている
『Body on a Chip』を用いる利点を教えてください。
私たちの体は、それぞれの臓器が影響し合いながら活動し、恒常性を保っています。しかし、人の細胞に対して行う試験の際に用いられてきた、ウェルプレート(細胞を入れて培養する容器)は、各臓器単体での試験しか行えず、例えば新薬を使った場合に他の臓器にどのような影響が出るかは分かりませんでした。『Body on a Chip』ならば、各臓器をつなぐことができるので、各部への効果や影響が確認できます。流路を遮断することもできるので、目的の組織のみに刺激を与える、といった必要に応じた実験も可能です。
最近では遺伝子編集技術が発達し、病気のモデル(遺伝子情報)がある程度分かってきています。そのため、特定の疾患の遺伝子情報を基に細胞を作り、その細胞を使った『Body on a Chip』を作れば、効果のある薬剤を調べることも可能です。症例の少ない希少疾患でも、iPS細胞(※1)を基にチップを作ることで、異常が起こっている場所の特定や、治療のアプローチなど、詳細な研究が行えるようになります。
※1 人工的に作り出した、皮膚や臓器、骨などになる前の元となる細胞
個人個人にあった薬剤や治療法が判別できるようになるということですか?
同じ病気であっても人によって異なる病態を示す場合もあるので、個人の細胞を培養してチップを作り、その人に最も効果のある薬剤は何かをチップで調べてから投与する、といったこともできます。例えばがんの場合、抗がん剤を投与して効果があるかどうか数カ月必要で、もし効果がなかった場合そこからまた別の抗がん剤を試すことになります。それでは進行を止めることはできませんよね。しかし、チップを活用することで、患者さんに負担を強いることなく、効果的な薬剤を事前に判定できるのです。
iPS細胞は創薬、新しい治療法の開発、病気の原因の解明のほか、再生医療への応用も期待されています。『Body on a Chip』は、このiPS細胞研究を加速させる一翼を担っています。
宇宙開発への応用も期待
新薬の開発や治療法の確立以外に、どのような応用が考えられますか?
『Body on a Chip』は「人を使うことなく安全性を評価できる」のが強みなので、化学薬品の特性評価や、極限環境での人への影響を調べるといった活用が挙げられます。極限環境に人を投じることなく試験が行えるので、例えば宇宙開発でも応用が検討されています。
具体的には、生体モデルを宇宙ステーションに持っていき、重力や放射線によって人体にどのような変化が起こるのかなどを調べます。宇宙飛行士の生体情報からいろんな研究が行われていますが、プラスアルファでいろんな試験が行えるようになれば、研究はさらに進むはずです。
火星など別の惑星に移住するという段階になれば、そこに長時間滞在することで人体にどういった影響を及ぼすのかをチップを使って確認する、というのも一つの応用例ですね。
原点は小学生のときに作ったプラモデル
先生が理系の道に進んだ理由を教えてください。
私が工学の道に進んだのは、小学1年生のときに買ってもらったガンダムのプラモデルがきっかけです。そこで「何かを作ること」がすごく楽しいと感じました。また、学校の勉強でも数学や理科が好きだったので、理系に進むことになりました。
現在のように「生物」に興味を持ったきっかけもプラモデルです。子供のころにプラモデルを組み立てるだけでなく、説明書も全部自分で作りたいと思っていました。その気持ちが高じて「何もかもを自分で作れるものはないか」と突き詰めた結果、たどり着いたのが「生物」のジャンルでした。そのため、私は研究分野を工学から生物に変え「がん研究用に遺伝子を組み換えたマウスを作る」ことに着手しました。
そこからどのような経緯で『Body on a Chip』の研究をすることになったのでしょうか?
遺伝子を組み換えたマウスの研究をしていたとき、マイクロ流動の研究をしている共同研究者から、「マイクロ流動を生物の分野でも使ってみたい」という提案があったのです。私も面白いと思ったので、マイクロ流動とES細胞(※2)、iPS細胞を組み合わせる研究を始めました。
※2 受精卵から作られた、皮膚や臓器、骨などになる前の元となる細胞。iPS細胞とほぼ同じものだが、倫理面や安全性に課題を抱えている。
最初は単純に培養するだけ、試験するだけでしたが、血管を模したマイクロ流動を使えば、作り出した組織同士をつなぎ合わせて「ミニチュア人体」が作れるのでは? と考えました。ここから『Body on a Chip』の研究がスタートしました。
この研究の面白い点はなんでしょうか?
やはり「モノを作り上げる」のが楽しいですね。工学的、技術的アプローチで、長い年月を経て現在の形になった「生物」に、自分がどこまで近づけるのか挑戦するのは面白いです。
物理学者のファインマン教授が「作れないのは自分が理解していないからだ」という言葉を残しています。何かを作るには理解することが大事ということなのですが、研究の中でさまざまな理解が得られるのも面白いことです。これは研究そのものの魅力でもありますね。私の場合はボトムアップアプローチといって、要素を一つずつ組み上げていく中で課題を見つけ、解決していくという方法で進めています。組み上げながら理解していくことは、私の研究の原点でもあるプラモデル作りにも共通する魅力だと思います。
反対に難しいと感じることは?
きれいな肝臓、心臓を作りたいという最終目標に向けて、今ある手法でどのようなアプローチをするべきかを考えています。しかし、最先端の研究であっても限界はあるので、そこをどう乗り越えていくかが課題です。また、個々の臓器のサイズや流れている血流の量など、今後研究すべき点は多くあります。
そうした壁を乗り越えるモチベーションは何でしょうか?
「世界で最初になりたい」という気持ちですね。過去に何度試しても再現できず、苦しい状況に陥ったことがありましたが、「これができれば世界初だ!」という強い気持ちで取り組めました。これまでになかった発見をし、人類の総合値を引き上げられるのだと考えると、つらい研究でも乗り越えられますね。
研究はそれだけ大きな可能性を秘めている、ということですね。
「生命・生物」はチャレンジングな分野
先生の今後の目標、展望を教えてください。
私が独自にアプローチしていることとして「絶滅危惧種の保全活動」があります。そもそもiPS細胞は実験動物から作られたもので、この技術を活用して、ヒトiPS細胞が作られることになりました。そのため、この仕組みはいろんな動物に応用することが可能です。先ほど希少疾患の話をしましたが、例えば繁殖数の少ない希少動物のiPS細胞を作り、チップを作成すれば、その動物に負担を掛けずにさまざまな研究が行えます。
希少動物を動物園などで保護した場合、自然下と異なる環境に置かれるため、原因不明の病気になることが多いと報告されています。例えばゴリラは動物園で飼育すると心臓疾患にかかりやすいことが分かっているのですが、原因は特定されていません。そこで『Body on a Chip』を作成すれば、最適な薬剤の判別や、病気のメカニズムの解明につながる可能性があります。
動物のiPS細胞を研究することによって、動物間の比較もできます。実際に、他の動物と比較することで、例えば象はがんになりにくいという結果が分かるなど、新しい発見が生まれています。この仕組みを人に応用することも考えられますし、iPS細胞の可能性も広がるはずです。
最後に高校生など若い世代に向けてメッセージをお願いします。
とにかくいろんなことに興味を持ってほしいですね。自分が進む道を限定せずに、面白そうと思ったものがあれば飛び込んでみればいいです。私も、工学を研究していましたが途中で基礎研究を行うなど、別のことにも取り組みました。他のいろんなジャンルの研究者と交流することがいい刺激になっています。興味を広く持ち、自分の可能性を狭めないようにしてほしいですね。
また、私が研究している「生命・生物」は、まだ解明されていないミステリアスな部分が多いジャンルです。それだけに非常にチャレンジングな研究ができるので、「自分の持っている知識、経験を生かして謎を解明してやる!」という気概のある人が来てくれるとうれしいですね。
ありがとうございました。
NEW GENERATIONS INTERVIEW
亀井先生の研究室で学ぶ修士1年生の吉本さんに、取り組んでいる研究の内容やその魅力を聞いてみました。
現在取り組まれている研究内容を教えてください。
私は肝臓の細胞について研究をしています。肝臓の細胞はES細胞、iPS細胞から人工的に作ることができますが、心臓の鼓動などの物理的刺激がない状態で生成した肝臓の細胞は、実際の生体内の細胞と比べて機能が不十分なことが分かっています。そこで、心臓の鼓動を再現するマイクロ流体プラットフォームを開発し、そのプラットフォームの中で肝臓の細胞を培養する実験を行いました。その結果、より生体内の肝臓に近い機能を持った細胞を生成することができ、8月に論文を発表しました。
どんな点が面白いと思いますか?
「工学の技術で細胞(生体)を操作する」という発想がそもそもなかったので、大学に入ってこの研究を知ったとき「そんなことができるのか」と驚きました。こうした新しい知識や理解が得られるのはこの研究の面白い点です。
反対に難しいと感じる点は?
例えば細胞の知識だけ、工学の知識だけでは通用せず、幅広い知識が求められます。私の場合は力学も必要なので、とにかくいろんなことを学ばないといけません。時間が全く足りませんが、なんとか乗り越えられています。
困難を乗り越えるモチベーションは何でしょうか?
研究の手法や論文に「研究者の個性」が現れます。極論ですが、努力している人は努力の跡が見られますし、不真面目な人はその態度が結果にも出ます。自分が残した研究結果からも、どのような人間なのかが分かってしまうと思います。自分の研究を誇れるものにするためにも、常にベストを尽くそうという気持ちで取り組んでいます。
大学で研究することの面白さは何でしょうか?
研究室にもよると思いますが、大学の研究は「自由」なことが魅力だと思います。私の研究室も個人の意思を尊重して、フレキシブルに対応してくれるので、伸び伸びと研究できています。自分が取り組みたい研究に集中できる環境を自分で作り出せるのは、大学以外では難しいと思います。
ENDING
『Body on a Chip』は、小さなチップの中に臓器と血管を配置して生体内を再現する、つまり「ミニチュア人間」を作るという取り組みです。この技術が一般化すれば、一人一人が医療用の『Body on a Chip』を持つ、という時代も来るかもしれません。また、薬や治療法の開発だけでなく、宇宙開発など幅広い分野への応用が期待されるだけに、今後の展開に注目です。
文:中田ボンベ@dcp
写真:宇佐美宏